「7年目の3・11」、ふたつのイベントに参加。午後、大津市膳所公園であった「原発のない社会へ 2018年びわこ集会」。福島原発事故で南相馬市から大津市へ避難している青田恵子さんの「原発事故から7年」の詩に涙・・・。もうひとつは午前、大津市堅田での細川源太郎さんたちの案内により「堅田春の散歩ジウム」。1500年の歴史深い堅田を歩き学び、人を産み育てる大地の重さを改めて実感。「蓮如粥」をいただく。午前も午後も、私たちの体と心を生み出してくれる風土の意味について、改めて考えさせてくれる1日でした。3月11日(また長いです)。
青田さんは布絵に詩をそえて、ご自分の懐かしいふるさと「南相馬」を描いてこれまで発信なさってきた。今年の言葉「難民になった自分」というテーマ。一瞬あれ?これまで「避難者」と言われていたそのくくりが今「難民」となった。その流れを、実感を込めて青田さんが伝えてくれました。
―――――(嘉田メモより、まだ不十分です)―――――
私の体は福島の土 私の心は福島の風
2年目 避難指示が解除
3・4年目 基準値が年間 20ミリシーベルトという 心のひだに汚染水がはりこむ
5・6年目 私の体もえる気もち・・・・
7年目 難民になった 今は「避難者」にすらさせてくれない
そして、明日の難民はあなたかもしれない
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今日の集会では、米原の平尾市長、元愛荘町長の村西さん、そして原発原告団の井戸さんたちが、力強い、心のこもった、また筋の通ったメッセージを届けて下さいました。膳所公園には1000人をこえる賛同者が集い、「高い」「あぶない」「次世代破壊」の原発政策の変更を強く呼びかけました。来年もまたここで会おう!と
堅田の「散歩ジウム」は今年で30年目。大津北(堅田)商工会の細川源太郎さんたちが、古代の春日山古墳から中世の湖族(賊)と言われた琵琶湖の水上交通、琵琶湖漁業管理の主であった堅田の歴史をご案内下さいました。
琵琶湖辺には大津・近江八幡・安土・彦根・長浜と、歴史の深い観光地がたくさんあるのですが、古墳時代から現代まで、1500年もの間、地域の歴史を継続してひっぱってきた地域は堅田をおいてありません。
平安時代から琵琶湖の東西が最も近く、くびれた場での港として、湖上交通の「関務権」「漁協権」などを差配。堅田衆により「堅田千軒」といわれる経済豊かな自由都市、自治都市として栄えてきました。今も水路が琵琶湖と堅田の町をつなぎ、浜に小さな橋板を渡して湖水を活用している姿も見える。
また比叡山とのつながりで仏教の歴史の襞も深い。一休さんが修業をした「祥瑞寺」の建物、庭園とも見事です。ツバキと桃色のアセビが満開、トクサの手入れも行き届いている。日差しがきつい庭園でのスギゴケの絨毯は見事。
浜辺には、ヨシ原の間に芭蕉の句碑と浮御堂。そして本願寺を追われた蓮如上人身を寄せ真宗再興の本拠地とした本福寺。ここで「蓮如粥」をいただく。ミズナのごまあえがおいしい。
ふたつのイベント、最初は別のジャンルと思っていましたが、原発問題も青田さんの詩にあるように、まさに大地とともに生きる人間性への本源的破壊であることを改めて自覚。気仙沼でカキ養殖に励む畠山重篤さんが言っておられました。「カキの命は津波の後でもすぐによみがえった」と。福島では、見えない命への危機がいつまでも、いつまでも、孫子のその孫子の代まで残る。
電源の代わりはあっても、琵琶湖の水の命、大地の代わりはない。福島で暮らし続ける皆さんに、そして福島の外で日々の暮らしをつくりあげている皆さんに改めてエールを送りたい。そして一年後には、「卒原発」にむけて一歩でも二歩でも歩みをすすめていきた。来年にむけての決意です。