2023年5月8日、大戸川ダム建設予定地視察。滋賀県第一区選出の斎藤アレックス衆議院議員と、今本博健京大名誉教授、中川晃成龍谷大学講師等の皆さんといっしょに、滋賀県南部、大津市の大戸川ダム建設予定地を訪問させていただきました。大戸川建設事務所の谷口昭一事務所長さん、人見剛副所長さん、平田元気調査設計課長さん、ご多忙のところご案内いただきありがとうございました。今回のダム建設現場の視察を経て、今週末5月13日には、「大戸川ダムと琵琶湖、淀川の治水を考える会」が主催をして、龍谷大学里山学研究センターの皆さんと一緒に勉強会を開催します。オンラインでの参加も可能です。ご案内いたします。5月9日。(また長いです、1600文字)。
5月13日の研究会で私は「知事として直面した大戸川ダム問題のこれまでとこれから」として話題提供をさせていただきます。なぜ私自身が大戸川ダムの必要性は低いと考えたのか。それは、ダム以外に治水手段があると考えていたからです。そして、財政負担の大きい、河川環境への悪影響が大きい、未来世代に負担を先送りするダムという手段を選択する必要性が低いと考えていました。1970年代から滋賀県だけでなく近畿圏の過去の水害被害調査を社会学者として進めながら、被害の最小化には、河川本流の水位低下だけでなく、山間部の土砂崩壊や支流の氾濫など、面的な要素が強く働いていた、と発見していました。
その上、同じような洪水が起きても、社会的な備えによって、被害を少なくして死者を減らす避難体制もできている場合とできていない場合、両方の現実を学んできました。それゆえ、自然現象である洪水に直面して、被害を最小化するには、社会的備えも必要です。しかし、国はダムこそが水害を防ぐ最善の方法だと主張してきました。
2001年(平成13年)に淀川水系流域委員会が始まった時、近畿地方整備局の担当者が、大戸川ダムの必要性を説明するなかで、「昭和28年に44名もの死者を出した水害をふせぐため」という理由がたびたび説明され、配付資料にも印刷されていました。現場の事情を知らない委員は、「なるほど、それほどの人的被害がでたならダムも必要だろう」と納得するかもしれない。しかし、私は納得できなかった。
大戸川ダムが計画されているのは大津市と甲賀市(旧信楽町)の境目の中流部です。昭和28年の水害は「多羅尾水害」と呼ばれる、大戸川の最上流部、三重県境に近いはるか上流の山崩れが原因でした。多羅尾水害は、昭和28年8月14日の真夜中の300ミリをこえる集中豪雨による山崩れで集落全体が流されて埋まり、44名もの犠牲者を出した。滋賀県内での戦後最悪の水害でもあります。被災家族からの聴き取り調査も私自身、すすめてきました。
淀川水系流域委員会で、大戸川ダムでは、上流の死者は減らせませんと私が説明すると、今度は、私が知事になった2006年には、琵琶湖の出口の瀬田川洗堰を全部閉鎖する時間を減らせるので、滋賀県に利益がある、と言ってきました。しかしその効果は、豪雨パターンによりますが、琵琶湖水位のせいぜい1-2センチです。そのことを2007年以降、私が知事として主張すると今度は、下流の桂川の氾濫を防ぐためです、と言ってきました。