Facebook 2023年5月6日 第5回びわ湖音楽祭と琵琶湖の魅力 を講演

5月6日早朝、県議の中沢啓子さんのご紹介で、彦根市倫理法人会からお招きいただき、「第5回びわ湖音楽祭と琵琶湖の魅力―なぜ嘉田由紀子は琵琶湖にほれたのか?」という講演をさせていただきました。倫理法人会は全国で720ケ所の支部があり7万社を超える会社が会員となっているようです。滋賀県にも10市に支部があります。その後、近江八幡市に移動し、チームしが会議のあと、午後には近江八幡市賀茂神社の伝統ある春の例祭に参列。馬にゆかりのある賀茂神社で馬とともに村内を御旅所まで、神さんが宿った大榊とともに練り歩きました。4年ぶりの行列に家いえから見学の皆さんがお迎えしてくださいました。5月6日。(また長いです、1900文字、スミマセン)。
滋賀県民にとってはまさに県民歌のような「琵琶湖周航の歌」ですが、生まれたのは今から106年前の1917年、当時の三高(京大)の学生だった小口太郎が作詞、吉田千秋作曲の歌で、100年歌い継がれてきました。ボートを漕ぎながら大津を出発した10代の若者が、20代に近江舞子で恋をして、30代では今津で荒波に出逢い、40代の竹生島では、瑠璃の花園の仏の御手にいだかれ、50代の彦根では古城にたたずみながら比良や伊吹山を眺め、60代では長命寺に到着し、西方浄土をめざす。まさに人生を歌っている歌でもあります。
この周航の歌にあわせて毎年加藤登紀子さんがプロデュースして開催してきた「周航するびわ湖音楽祭」。地元の子どもたちも参加をし、歌い継ぐ機会をつくっています。2017年に大津のびわ湖ホールで第一回目を開催し、歌にあわせてびわ湖を周航し、ようやく今年は5回目で、6月11日(日)に彦根市文化プラザで開催します。その広報もかねての講演でした。琵琶湖環境は水質や生態系と合わせて、琵琶湖と自分をつなぐ「歌が必要」という文化研究者としての嘉田の意思から加藤さんとつないできました。
あわせて、嘉田由紀子がなぜ琵琶湖に魅せられてきたのか。埼玉県生まれの嘉田が、中学校の修学旅行で、比叡山延暦寺の千年の法灯と杉木立に出逢い、同時にドライブウェイから見る琵琶湖の風景に魅せられ、信長ファンだった歴史少女が、東海道線から眺めた安土山の、まさに田んぼの下に埋まる信長時代を想像させられた、その近江の歴史と風土にほれ込んだ背景を語らせていただきました。
同時に、埼玉県の養蚕農家で人間扱いされず苦労させられた母の姿から、なぜ男尊女卑の家族制度が日本で広まったのか、人類家族の原点を探りたいと学生時代、人類の生誕の地であるアフリカへのあこがれから探検部にはいり大学3年生の時、アフリカのタンザニアに半年住み込み、そこでコップ一杯の水の価値に目覚め水研究を決意。学生時代に途上国研究を目指した同志の嘉田と結婚をし、環境学を学ぶためにアメリカに留学。
留学時に、アメリカの指導教員から、水と人間の共生関係を研究するなら日本に帰りなさい。日本は1000年も2000年も同じ大地の水田を耕し、水をいれて持続的に生産力を維持し、水の文明をつくりだしてきた。そこにこそあなたの研究の舞台がある、とアドバイスをいただき、琵琶湖周辺の農村での水と人間の関係調査を始めました。1974年のことです。そこから1981年に琵琶湖研究所で社会学研究者として採用され、1985年からは琵琶湖博物館の企画提案を行い、1996年に琵琶湖博物館を開館。
1990年代末に、コンクリート化された水辺への反省から河川法に環境保全がとりこまれたが、現場は相変わらずコンクリートダム優先。2005年に滋賀県内のダム建設の中止を淀川水系流域委員会が提言。しかし当時の知事は、ダムは必要と頭ごなしに国に要望。それに怒りをもって「自分が知事をやるしかない」と2006年に知事選挙に挑戦。政党や団体の推薦が全くない、まさに泡沫候補を言われたが、「税金の無駄遣いもったいない」の訴えで、県民の皆さんの支持をいただき知事選挙当選。二期8年の間に約束の6つのダムを凍結中止に持ち込み、流域治水推進条例を全国ではじめて制定。
今日の後援会の感想文には、「嘉田さんの学者としての仕事を活かした知事政策に感動!」など、大変お励ましの言葉をいただきました。今後、県内の各地の倫理法人会で講演をしてほしい、という依頼をいただく。時間の許すかぎり、行かせていただきます。
午後の近江八幡の賀茂神社は、京都の上賀茂神社とつながりの深いお宮さんです。またこちらについては後ほどご案内します。コロナ渦で長い間、実行できなかったお祭りを歓迎する地元の皆さんのお迎えがうれしかったです。写真だけ、ご覧ください。
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