オオムラサキの保護団体「近江・オオムラサキを守る会」(米原市・多和田)の樋口善一郎さんたちの「越冬幼虫カウント調査」に次男修平と孫たちと参加。集落裏のかぶと山のエノキ20本を探索・調査、枯葉の下に隠れていた幼虫をみんなで38匹(頭)も発見!孫たち、特にさくら(小2)は幼虫を発見して大はしゃぎ!3月18日。(また長いです:微笑)。
日曜日夜のお楽しみ生き物新伝説番組「ダーウィンが来た!」でオオムラサキの羽化の場面を見て以来、さくらにとってはオオムラサキを見るのは最大の関心事になったようです。3月上旬に突然メイルがきて「おばぁちゃん、オオムラサキ見たい!」というので、さっそく以前から知り合いの米原市の樋口さんに連絡。「かぶと山」のオオムラサキ幼虫探索に今回タイミングよく参加できました。
昭和57年の会の結成以来、オオムラサキ観察をしてきた子どもたちやそこで成長した大学生、そもそも40年近く前の少年時代にオオムラサキを捕獲して善一郎お父さんをオオムラサキに引き込んだ息子さん政樹さんとお譲さんのれみさん達、多世代の30名近くが集合。滋賀県議会議員の角田航也さんは挨拶に、また米原市議会議員の中川雅史さんはいっしょに調査。また観察会後には平尾道雄米原市長も応援にかけつけて下さいました。
多和田の集落を囲むなだらかな「かぶと山」に皆で入る。オオムラサキの食草であるエノキの根元を調査。枯葉を一枚ずつめくって幼虫を探す。枯葉の保護色で茶色の幼虫は見つけにくい。「いるかな?」「いるかな?」とドキドキしながら、まずさくら「いた!」と発見・興奮!じっくり葉っぱの上で観察。背中の突起を確認。4つだとオオムラサキ、3つだと「ゴマダラチョウ」。昼食はさんで5時間ほど歩き、20本のエノキ全体で、オオムラサキ38頭、ゴマダラチョウ12頭を発見。2004年以来の調査結果と比較してみると多からず少なからず、という結果でした。
実は40年ほど前、息子たちがまだ幼少だった頃、大津市比叡平の新築の我が家の庭にエノキを植えて、毎年まいとしオオムラサキが飛んでくるのを待ち続けました。しかし40年間にオオムラサキは1頭も現れず、かろうじてゴマダラチョウが一度だけ幼虫を産みつけてくれただけでした。それ以来、我が家ではオオムラサキの観察・羽化は「世代をこえての悲願」でした。25年ほど前、私が胃がんで大津日赤病院に入院中に知り合いの生態学者から差し入れていただいた幼虫を羽化させたのは家族ヒストリーの貴重な1ページです。
次男の修平によると、比叡山系や長等山などは傾斜がきつくオオムラサキが暮らす雑木林としては不適格という。それにくらべると今回の観察場となった米原市のかぶと山はオオムラサキにとっては理想の平坦な山に見える、という。山歩き中、修平の専門のカメムシもいろんな種類がいました(詳しい名前は失念!)。
樋口さんたちのオオムラサキを守る活動は、決してオオムラサキだけに目をむけているわけではありません。オオムラサキが住める豊かな里山の雑木林を守り、そこから薪をとり、またシイタケの原木などの食用資源もとりだし、またそれが水源にもなり、暮らしの中でかかわりながら守る里山保全が目的という。樋口家で育てていたシイタケを原木から取らせてもらい、孫たちはこれにも大はしゃぎでした!
また樋口さんのお孫さんのれみさんの小学校2年生の時に科学賞にだして全国のトップ賞をもらったという観察記録も見せていただきました。ち密な写真、そして文章をふくめ、見事な観察記録です。3世代に亘り、オオムラサキだけでなく、生き物に深く関心をもち、里山の暮らしを楽しんでおられる樋口家の皆さんとお知りあいになれて大変うれしい時間でした。
またかぶと山のふもとの多和田集落には山からの湧水を集める「取り井戸」があったようです。いわゆる「古式水道」です。集落の中の水路には「消防用」という井堰もあり、また美しい水と繭を使った「真綿づくり」も多和田の特産品でもあります。全国ひろしといえども真綿布団をつくっているのはここ米原市の多和田だけとも聞いています。知事時代にも真綿づくりを見せていただきました。
オオムラサキが羽化する6月から7月に孫たちと再訪問させていただく約束をして、多和田を後にしました。樋口家のご家族の皆さんはじめ、お世話をいただいた方がたに感謝申し上げます。ありがとうございました。(角田航也さん、中川雅史さん、樋口政樹さんから写真提供をいただきました)。