3月26日、滋賀県大津市と信楽を結ぶ大津信楽線は大戸川沿いに走る重要な幹線道路です。大戸川ダム建設に伴い、現在の大津信楽線がダム貯留により水没するため、その影響を受ける区間をダム事業に関連して付替工事を行ってきました。その開通式に午前中参加、来賓挨拶をさせていただきました。昼には大津市内に戻り佐口よしえさんの県政報告会に参加、子育て世代の政治参加の重要性をミニ講演。その後京都府八幡市に移動し、未来政治塾生の大野ひろみさんの事務所開きに参加、女性参画と子育ての関連についてミニ講演をさせていただき、街頭演説会の応援も行いました。比良八講の日です。3月26日。今日も長いです(1400文字)。
大戸川ダムの建設については、2005年に淀川水系流域委員会で提案された中止の意向を受け、2006年に就任した私の滋賀県知事時代にダム建設費負担予定の大阪府の橋下知事と京都府の山田知事と共同して、2009年に「建設の必要性は低い」という意見書を出しました。しかし国は建設の意向を変えず、橋下知事や山田知事、そして私が引退してから、特に2013年9月の台風による氾濫を大きな理由として、また地元の三日月知事が建設を容認したことから、2021年に河川整備計画を改定して、建設再開を決めました。
私が大戸川ダムの建設に反対したのは、もともと利水と治水であった建設理由が、利水撤退後、急に洪水時の琵琶湖出口の洗堰の全閉操作を緩和できるという理由を追加してきたことです。琵琶湖の水位低下への貢献は降雨パターンにもよりますが、最大3センチ程度です。また天ヶ瀬ダムとセットで京都、大阪下流部の治水に効果があるということですが、すでに喜撰山ダムという利水ダムもあり、それを事前放流により治水用に活用することで、あえて新規に巨額の費用をいれて大戸川ダムをつくる必要性は低いと2008年12月の滋賀県議会での激論を経て、判断しました。
今日の挨拶では、ダム水没予定地で、1300年の歴史のある大鳥居集落が全村離村を迫られたことへのお詫びと協力への感謝、知事時代に道路の必要性は承認し、京都、大阪からの予算確保もしたが、途中でいろいろご心配をおかけしたことをお詫びしました。しかし、たとえ大戸川ダムができても水害被害はゼロにはできず、特に地元での内水氾濫は残るのでハード、ソフト、そして、ハートという多重防護の流域治水が必要であること、また大戸川は、「水7合に土砂3合」といわれるほど土砂が多い河川で、土砂による景観破壊や河川生態系の切断などの懸念も高いことも訴えました。記念に発行された手ぬぐいにはアユとカワセミが描かれていました。推進する人たちの願望でしょう。今後、10年、20年、そして50年、100年と経過を丁寧にフォローする必要があります。(私は生きていないでしょうが。微笑)。
旧琵琶湖ホテルで開かれた佐口よしえさんの県政報告会では、今、国政で進めている子育て政策は、子育てと仕事の両立に苦しんできた女性の意見はほとんど反映されておらず、まだまだ国会での議論が必要であること。そのためにも、三人の子育てをしながら滋賀県議会議員を1期務めてきた佐口さんの存在と政治参加は極めて重要であることを訴えました。琵琶湖ホテルの庭の桜は満開でした。三日月知事も大戸川の県道開通式を終わって駆け付けてくれました。