3月12日、天ケ瀬ダム再開発事業完成式典に参加。挨拶とテープカット。天ケ瀬ダムは淀川本流に建設された唯一のダムです。昭和28年9月の台風13号により宇治川左岸が破堤し、戦前にあった巨椋池が再現するほどの氾濫が起きて、200名近くの死者、浸水家屋6万戸近くの被害がでた大水害です。この水害に対処するため、宇治川の上流部に計画され、昭和39年に完成した治水、利水(電力・上水)の多目的ダムが天ケ瀬ダムです。大津市内では石山外畑町が水没するため高台移転を迫られた歴史があります。また長いです(1300文字)。
しかし、さらなる機能強化のため1975年に再開発が計画されました。一旦完成したダムの機能を強化するための事業が再開発ですが、日本中で再開発ダムは2件目です(最初は愛媛県肱川流域の鹿野川ダム)。技術的にもさまざまな困難があり、それゆえ天ケ瀬ダム再開発には50年近くの年月がかかりました。ダム横の山側に大型水路をつくり、ダム容量を増やすという難事業です。それだけに、関係者の皆さまのご尽力に感謝いたします。
今日は京都府、滋賀県、大阪府、などの行政関係者と国会議員などが招待され大変力がはいった式典でした。京都府知事代理の山下晃正副知事の挨拶は印象的でした。2013年9月の台風被害の時、宇治川沿いの旅館の観光客に避難をよびかけたが、増水する川の写真を写したがり避難をしてくれなかった。行政の避難呼びかけに応えてくれる住民は数パーセントしかなくて頭がいたいと。滋賀県の三日月知事の挨拶の後、国会議員の挨拶で、西田昌司参議院議員が、「ここ20年ほど過剰な環境保護派と財政緊縮派の影響で事業が大幅に遅れてしまった。ようやく国土強靭化が動き出した。今後は与党として予算をしっかりつけていく」と挨拶。
ちょうど西田さんの次が私でした。西田さんの批判はかなり直接私に向けられたものです。会場におられた誰もが、私たち(京都府の山田知事、大阪府の橋下知事含め)が淀川水系流域委員会からの提言意見を受けて、ダム見直しを訴えてきたことをご存じです。私はまず、2008年―2009年、山田知事、橋下知事と徹底議論をして知事意見をだし、必要性の低い事業については見直しを提案した。大戸川ダム、丹生ダムです。ただし天ケ瀬ダム再開発については当時からその必要性を承諾させてもらってきました。
私自身、河川計画で意見を述べてきたのは、環境社会学者として水害被災地調査をしてきて、その結果、効果の小さいハード事業も一旦動きだすと見直しできず、同時にハード事業だけでは命を守りきれない現場をみてきたからです。具体的には、たとえば天ケ瀬ダム建設のきっかけとなった昭和28年の浸水地域を、過去の水害被害写真をもって訪問して今の状況を調査すると、都市化がすすみ、特に高齢者用の福祉施設が浸水危険区域にたくさんできている。ハード事業だけでは命はすくえない。ハザードマップの公開や土地利用規制や避難体制づくりなど多重防護の必要性を痛感し、日本ではじめての「流域治水条例」も滋賀県ではつくってきた。今、国も流域治水の方向に舵をきった。
特に心配なのは、山下京都府副知事が直前に紹介していたように、危険性を察知して避難するという行動がなかなか広がらないことがある。たとえば2013年9月の桂川下流部の羽束師地域では氾濫直前まで水位があがった。直後に私も聴き取り調査に行ったが、堤防下に住んでいた人たちは、堤防の水位上昇には全く関心がなく、避難への備えもなかった。背筋が寒くなるほど怖かったと伝えました。ハード事業だけに頼らず、「ソフト」「ハート」もふくめて「自助・共助・公助」を組み合わせた「多重防護」の仕組みを国の委員会でも提案していると挨拶をしめました。
このあと、自席にかえったら、西田議員がぽつりと、「福祉施設の立地は確かに問題が多いな」と言っておられました。「雪解け」の感触をえましたが、どこかでまた西田議員と話をしてみたいです。