Facebook 2023年2月27日 「2月25日、26日は、滋賀県内各地で国政報告会、県政報告会などを開催しました。」

2月25日(土)と26日(日)は、滋賀県内各地で国政報告会、県政報告会などを開催。コロナ渦で直接お出会いして国政報告ができなかった過去3年間の空白をカバーするべく、報告会とともに、選挙事務所開設など、4月の統一選挙の準備応援にも伺いました。それぞれの地域で懐かしい皆さんと旧交を温めることができてうれしい週末でした。26日。(文字も写真も多いです!1800文字 スミマセン)
25日朝一番に栗東市の九里学県議会議員の事務所開きに応援参加。2007年に当選以来、九里県議は4期16年務められました。私の挨拶では、2006年―2007年の新幹線新駅凍結でご心労をおかけしたことをお詫びし、同時にその後の街づくりへの支援、またRD廃棄物処分場の環境改善にむけて、九里県議とも深い議論をすすめ、当該用地を県有地化して環境改善をすすめてきた経緯などをめぐり、お礼を申し上げました。そして来る選挙でも皆の力を結集していきましょう、とお願いしました。
25日午後は、大津市北部、真野北市民センターで、嘉田由紀子国政報告会と嘉田修平市議会報告会、あわせて野田たけひろの4月の選挙にむけての決意表明をさせていただきました。野田さんは、奨学金などで苦労をした、その自分と同じ苦労を次世代にひきずりたくない、と丁寧に力強く決意を語ってくれました。こじんまりとした会合でしたが、逆に人数が少なかったがゆえに、子育ての経済的負担を国としてどう支援するのか、新興住宅団地のインフラの老朽化に大津市としてどう進めるのか等嘉田市議が詳しく事情を聴いていました。
夕方は、守山市での嘉田由紀子国政報告会と、もりしげ重則の市政報告会です。こちらでも知事時代に滋賀県ですすめてきた子育て政策の経験から、国政では一人親家庭をこれ以上ふやさない法令改正や、虐待問題の多発について問題提起。そのあともりしげさんが守山市議として二期8年、まさに虐待や家族に頼れない子どもさんに、給付型奨学金制度を守山市として創設したプロセスなど大変わかりやすく説明下さいました。この経験は是非とも県政にもっていっていただきたいと私からも強い期待を述べさせていただきました。
26日は朝一番に近江八幡市の今江まさひこ事務所の開所式に参加。町中の一等地に整備された選挙事務所での朝一番の神事は伝統ある日牟禮八幡宮の宮司さんが執り行ってくださいました。事務所開きは、徳永衆議院議員、谷口連合滋賀副代表とともに、私も、2007年以来の今江さんのチームしが県議団でのリーダーシップについて詳しく報告申し上げ、4月選挙への力をあわせた応援をお願いいたしました。
午後一番には、「退職者連合30周年記念レセプション」に参加、日ごろの活動に感謝申し上げ、挨拶では、滋賀県男性寿命日本一、女性が二番目というこの結果は、歴史的な地域政策の蓄積の結果であること。1975年には男性22位、女性27位がうなぎ上りの長寿命を獲得したのは二つの減塩(塩分減少、煙減少)と一つのエン、つまり縁という社会関係の充実があること。たとえば230全小学校区での朝晩の高齢の方によるスクールガードは世代をこえた社会関係づくりと健康維持に貢献するだけでなく、通学時の交通事故が日本一少ないという成果にもつながっていると紹介させていただきました。
午後後半には長浜市高月町に移動。大橋みちのぶ県議の引退表明とあわせて、嘉田の国政報告と、大橋県議が推薦する宮本鉄也元市議の県政への決意表明を伺いました。大橋県議とは2011年以来のおつきあいですが、教育分野の専門家として県政で活躍して下さったこと、お礼申し上げました。また私の国政報告では、子育て支援に力をいれるのは、国としての経済力や社会的活力を維持するため、また高齢者の年金生活等をささえるためにも重要であることを説明させていただきました。
宮本鉄也さんの4月選挙への決意表明は意外でした。2019年の参議院選挙では、私の対抗馬のJ党の二之湯さんを応援してきたこと、しかしJ党の政策にあきたらず今回無所属でチームしがの推薦を得る事にした。はじめて嘉田に出会った時、リュックの中から3冊もの自著本をとりだした。それを全部じっくり読ませてもらって、「既存の利益誘導型の政治ではなく、未来のために政治を変えたい」という思いが溢れていて、自分もまさにその思いで、政治へ挑戦をしている、と会場一杯の参加者の前で力強く表明下さいました。
帰路、高月町の広島焼の「尾羽梨」を訪問、滋養たっぷりの広島焼を堪能。実は毎回高月を訪問するたびに食べさせてほしいと願って4回目。丹生ダム建設予定地の尾羽梨集落から移転した方が経営しているという。ようやく実現!経営者の久保さんの息子さんとお母さんに焼いてもらっている時、お母さんが、「嘉田さんと出会って話すのは二回目です」という。一回目は私が知事就任直後、丹生ダム建設要望大会で、ダムによる集落移転をした住民の魂の訴えをさせてもらったという。
「ダム建設を目的にふるさとを捨てさせられた人間にとってダムが建設されないことは、自分たちの犠牲が浮かばれないということ。徳山ダムみたいに外からお客がくるふるさとにしてほしい。そこをよく知ってほしい」と・・・。そうです。私もそのことが一番心にひっかかっていました。そして今日は「皆さんの犠牲を無にしないためにも、丹生ダム地域の価値が最大発揮できるように、私も今、心をくだいていろいろ活動しています」とお話させていただきました。次回、じっくり時間をとって、久保さんと話をさせてほしいです。
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