「アメニティフォーラム」という、琵琶湖畔で26年もつながってきた、障がい者の暮らしを支援する仕組みづくりに向けての対話の場が、この週末、10日ー12日まで開催されています。10日に参加をしました。多様なプログラムの中で、二つ紹介させていただきます。ひとつは滋賀県大津市生まれで、今、北九州市で生活困難者支援で活躍中の奥田知志さんの「共生社会づくり」と、もう一つは視覚と聴覚の両方を失いながら東大教授として活躍中の福島智さんをモデルにした映画「桜色の風が吹く」の映画鑑賞と福島さんご本人を囲んでの映画誕生物語です。2月10日。
奥田さんは、大津市膳所で生まれ育ち高校まですごしておられます。今日は奥さまもご一緒に来られていました。大津から関西学院大学の神学部を出て、北九州市のキリスト教会牧師として、路上生活などに追い込まれた人たちの直接支援から、「助けて」と言える国へ、と分断された日本社会でいかに人と人がつながりながら、生き抜いていくのか、具体的な実践に基づいて、わかりやすい講演でした。書籍も求めました。
その実践を支えた奥さまのお話が今日は大変印象的でした。真夜中の2時頃電話がかかってきて「お風呂を準備して、今日は二人連れて帰る」という連絡が入るとすぐに準備にかかる。お風呂と暖かい布団、そして暖かい朝食、この準備をいつも奥様が支えていた。息子さんの奥田愛基さんからは「朝になると家族が何人も増えている!いつもそうだったし驚かなかった!」と以前愛基さんから直接聞きました。
福島智さんは、3歳で右目の視力、9歳で左目を失明する。18歳のときに特発性難聴で失聴し全盲ろう者になる。18歳までの音の記憶が残っており、盲ろうあ者として世界で初めて大学教授になったという先駆者です。お母さんの手記を元に、松本准平さん監督の「さくら色の風が吹く」という映画が完成。2時間の映画を見せていただきました。本人の苦悩と、それを支えるお母さまの苦悩。取り巻く家族のものがたり、、、涙が止まりませんでした。
左目の失明宣告を受けて、家族五人で太平洋の海を見にいく、その記念の映像。映画には出てこないが、神戸に住む智さん家族は琵琶湖にも1970年にきたという。今日、琵琶湖に来てその時の琵琶湖の光景を思い起こしていると言っておられました。ありがたいです。