滋賀県立美術館でまるごと一日企画展示を楽しませていただきました。「近江多賀 山行きBOKKO」という麻と木綿の仕事着の圧倒的な存在感!発掘者の澤田順子さんがご案内下さいました。滋賀で生まれた写真家川内倫子さんのM/E(母なる大地)と名付けられた命あふれる写真たちの空間演出。そして思わず出会った奥田誠一さんのSURFACEという展示。「アートは人と人をつなぐ」と2011年に哲学者の鷲田清一さんが「美の滋賀」プロジェクトを始めた時の対談で語ってくださった、まさにその流れがみえてきています。わくわくどきどきのアートと暮らし、自然、大地と人と生き物の命をつなぐ企画ばかりです。滋賀県立美術館に足をはこんでみてください。夜には東京へ。2月5日。(また長いです、1800文字)。
山とともに人生を生きてきた澤田順子さんの先人の暮らしの意味の発見と発信は強烈でした。山仕事に使ったBOKKOは「野良着とは違う。そんなヤワやない」という。確かに私が各地で見てきた野良着のBOROよりもずっとずっと重くて厚くて縫い糸も太い。多賀の山から彦根の町に炭を背負って運ぶ、その擦り切れた背中の上部は山仕事に特有です。洋服が買えなかったわけではない。BOKKOは雨や汗でも快適だったという。必ず裏から布をあて補修修繕。
今日の意外な出会いは奥田誠一さんです。「安土の西の湖の奥田修三の甥っ子です」と声をかけてくださり、「修三叔父は嘉田さんがいつも気にかけてくれて喜んでいました」と言ってくださいました。数年前に亡くなられた修三さんは、西の湖の漁師として魚つかみに精をだし、同時に湖の自然の奥ふかい価値を、自宅を資料館にかえて、子どもたちに語り続けてくださいました。90年近い人生を西の湖とともに歩まれたあの資料館も保存したいです。
奥田誠一さんの作品はとっても不思議です。火をつけて燃え残った和紙の重なりを表層SURFACEとして、皮一枚のヒトガタの強い存在感をうかびあがらせる。こんなヒトガタ、見た事がありません。ヒトガタの内部は「虚(ウロ)」となり、限りある人の命が、流動的な時空間の中で永遠の存在となるという。奥田さんに、「どこからその発想が生まれてきたのでしょう」と尋ねたら、子ども時代、安土の西の湖辺で、水や土やヨシと遊び、そして安土城の坂道や森で遊び、その原体験がこの作品につながっているのでは、といわれる。琵琶湖と水辺の研究をしてきた私自身、奥田誠一さんのこの作品にはゾクゾクと時空をこえた感動がわきあがりました。奥田誠一さんありがとう!
滋賀県知事時代、滋賀の美は自然や暮らしの現場にある。その当たり前の風景や暮らしの中から美を、住民みんなでさがそうと「美の滋賀」プロジェクトを提案してきました。その企画をすすめる上で哲学者の鷲田清一さんと2011年11月対談をした時に鷲田さんが以下のように、「美は人びとをつなぐ力がある」と言っておられました。
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「美の滋賀」の“美”とは、“美”をきっかけにして、あるいはその周りで人がどんな新しいつながりや絆を作っていくのかという、まさに人と人のつながり、あるいは地域のあり方の課題だと思います。アートを核にして、世代や立場を超えた人間関係から、いろいろな提案や協働活動が起こり、県外の人がそういう地域の新しい暮らし方のモデルをうらやましく思う、そんな滋賀県になることを期待します。
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あれから12年、今日、県立美術館でお出会いした上田洋平さんや北川陽子さん、澤田順子さん、奥田誠一さん、今回のつながりをつくってくださった辻村耕司さん、市田恭子さん、木村元彦副館長など、本当に多くの人たちが、この滋賀と琵琶湖の自然と歴史の中から、心おどる美の滋賀を発見し、つなぎ合わせて、次の世代に送り出してくださっている・・・うれしい時間でした。