山と湖をつなぐ水への祈り「比良八講」行事が近江舞子浜で開催。比良連峰・打見山山頂で汲まれた湧水の法水(天命水)を琵琶湖に注ぎ湖水浄化を祈り、紙塔婆を湖上に流して水難者の霊をなぐさめ祈る行事です。あわせてヒバの火で護摩供養の後、藤波源信大阿闍梨から、参拝者へのご加持がなされました。参加者も竹筒の法水のおすそわけをいただき、護摩木に祈りを書き込みました。私は下流の皆さんが源流に思いを寄せていただけるよう「飲水思源」と書かせていただき大阿闍梨のご加護をいただきました。3月26日。(また長いです:微笑)
3月9日に比叡山の守護神である日吉山王さまに祈願してはじまる比良八講の行事は、3月22日に比良連峰の山頂からお水とり(修三会という)を行い、その法水をもって、本日3月26日当日は近江舞子観音像前で水難者回向と湖上安全を祈念し、般若心経一巻を読誦。雄松崎の松並木を練り歩いた後、「修三会法水」を船上から湖水に注ぎ、「紙塔婆」を湖上に流し、その後、比良明神・比良権現への報恩感謝の護摩供養を執り行い、比良八講のクライマックスを迎えました。
「比良八講」行事の裏には悲しい娘の恋物語があります。昔比叡山の若い修行僧が、対岸の宿に泊まった時、宿の娘が修行僧を一目で好きになったが、僧は修行があるため娘をめとれない。僧は「修行をしている堅田の浮御堂まで百日間通い続けることができたなら、夫婦になろう」と言い残して去った。娘は、その日から毎晩、対岸の浮御堂を目指して、たらい舟で通い、九十九夜通い続け、いよいよ満願の百日目の夜。満願を恐れた修行僧は灯明を吹き消した。明かりが見えない娘は、その時吹いた突風で小さなたらい舟もろとも湖に沈んでしまったという。
毎年この時季、比良の山から吹きおろす強風の「比良おろし」は、娘の無念によるものとも言われている。この民話は、大津だけでなく草津や守山、近江八幡などにも伝わり、娘の名は「おみつ」「おいさ」などいくつかの説がある。特に琵琶湖にすむ固有種の「イサダ」(イサザ)は娘の化身ともいわれています。そういえば、白い身に黒い眼のイサザは、娘の化身といわれるとそう見える悲しい眼をしているようだ。比良八講の行事で、ぼんぼりを持った稚児娘が行列に参加するのは、たらい舟をこぎ出した娘を慰める願いが込められているという。
今日、改めて行事に参加をさせていただき、比良八講の行事は、比叡山・比良山という高い峰に面した琵琶湖が「天台薬師の池」として聖なる意味をもって存在している、その自然条件、地理的条件、歴史的条件があればこその行事であることを確認しました。もともと「比叡山三千坊」「比良山七百坊」と呼ばれるほど、比良山系は天台宗本山の比叡山とつながりが深く、天台寺院の集積地でした。そこに日本古来の山岳信仰と外来の密教などが融合してつくりあげたられた修験道が重なった行事です。山岳修行による超自然力の獲得と、その力を用いた呪術宗教的な活動を行うことを旨とする実践的な行事でもあります。
昭和30年に、自らも水難事故で一命を取り留めたその感謝の念から、箱崎大阿闍梨により再興された比良八講です。これまで大津市内での町中の練り歩き、船で近江舞子まで移動しながら船護摩などを取り込んでいた行事も数年前からは、近江舞子だけに集約されました。それだけに、行事全体の意味が見えやすく、分かりやすくなった面もあります。また参加もしやすいです。主催は延暦寺と比良修験道ですが、近江舞子観光協会や地元自治会、南小松入会地管理会など、多くの地元の皆さんの準備から清掃までのご尽力でなりたっています。皆さんに感謝申し上げ、この行事のもつ意味と価値をもっともっと発信する必要があると感じました。
春の訪れを感じさせる大きな風の比良おろしを「比良八講(八荒)あれじまい」とも言います。今日は風もない晴天でしたが、こんな晴れの日は10年に一度くらいしかない、と南小松入会地管理会の北出会長が言っておられました。
ちなみに、私が藤波大阿闍梨にご加持をいただいていたその隣に、近江舞子いちご園の北村さんが見えて、「去年は(この加持を)いただかなくて、怪我したり悪いことがたくさんあったので、今年こそはと思って仕事をぬけだして、走ってきたのよ!」と息せききって言っておられました。信仰が生きている! そのような気持ちにさせてくれるのが、一連の祈りの意味でしょう。比良の住民になって4年近くたちますが、神と仏の祈りの場、まさに「神仏習合」の深い祈りの場の琵琶湖辺に住める幸せを改めて自覚する一日でした。
日本各地はさくら満開便りですが、比良浜のさくらはようやくつぼみがふくらみはじめたところ!1週間くらい遅そうです。