Facebook 2023年1月17日 阪神淡路大震災から丸28年がたった1月17日です。「滋賀県環境整備事業協同組合」の「創立50周年記念大会」参加

阪神淡路大震災から丸28年がたった1月17日です。「滋賀県環境整備事業協同組合」の「創立50周年記念大会」では、最初に6434名の犠牲者への黙祷を捧げました。大会では「不易流行―歴史と未来」と題して、市町村、県、国という行政・政治分野から、500名を超える参加があり、「し尿処理を中心とした廃棄物行政の歴史や現状と今後」に関する講演やパネルディスカッションも計画され大変充実した内容でした。「食べたら出る」、この人間としての逃げられない宿命が、最も鋭く問題化するのが災害時です。企画、参加された皆さま、ご苦労さまでした。1月17日。(また長いです、1500文字)。
私自身、「人類としてのトイレの歴史」を世界各地で研究してきて立場から、「災害時におけるし尿処理」問題には強い興味をもっています。国会でも「災害対策特別委員会」で、阪神淡路大震災や東日本大震災の避難所でのし尿処理問題の経験から、今後いつ起きるかもしれない「首都直下型地震」や滋賀県での「琵琶湖西岸断層帯地震」時などに、被災者の健康を大きく左右するし尿・トイレ問題など、予防的な対策を提案していきたいと思います。
今日の大会の最初の10分は「し尿処理の歴史」を戦後から現代まで、映像資料でまとめておられました。最初の一枚目、「あざけりの目がある、軽蔑の目がある、臭くて汚い家業・・・・こんなにも嫌悪に満ちた職業なのに、仄かないとしさが湧く・・・・利徳」という詞は心うちます。この背景の写真は、1990年代、私自身が琵琶湖博物館学芸員の時代、大津の昭和時代の生活写真を発掘していた時に出会った故谷本勇さんが写していたものです。大津市の京阪島ノ関駅横で、線路を渡るし尿運びの大八車です。この小さな肥え桶を浜大津の湖岸に泊めた丸子舟の中の大桶に移して湖上をそれぞれの村まで運んだということです。
琵琶湖南湖の沿岸の集落からは丸子舟などで大津の人口密集地にし尿収集に来ていました。それを私は「うんこ・大根ネットワーク」と名付け、かつて「養い水」「農業用肥料」として貴重だったし尿利用場面を琵琶湖博物館の「冨江家再現展示」で実物展示しています。冒頭に挨拶に立った滋賀県議会議長の岩佐弘明さんも、この写真に感銘をうけたようです。守山市の湖岸に住んでいた昭和30年代、農家で肥料をもとめて大津の町に舟で出てきた子ども時代を思いおこす、と言及しておられました。
バキュームカーでし尿を集め、処理場に運ぶ事業は、今や滋賀県では人口の約13%まで減っています。滋賀県人口の86%に下水道が普及したからです。しかし、広域の下水道は、地震時の管渠破壊で一気に使えなくなります。近代的な巨大技術には弱みがあります。私は「遠い水システム」と名付けました。災害時に役立つのが原初的なバキュームカーによる収集とし尿処理施設の稼働です。2011年の東日本大震災時にも、ちょうど私の知事時代ですが、「滋賀県環境整備事業協同組合」の皆さんから申し出があり、バキューム車など20台を、県庁正面から宮城県まで送り出したことを思いおこしました。その時の記録も50年誌にまとめてありました。
最後に株式会社日吉の鈴木正さんが挨拶で、若い皆さんとともに舞台に立って、「災害時におけるし尿処理」問題と組合としての決意ををわかりやすく表明をしてくださいました。会場から大きな拍手がおきていました。「備えあれば憂いなし」。50周年事業の「不易流行」の精神が、次世代につながれる期待をいだきました。皆さん、ご苦労さまでした。
先頭に戻る