長崎県川棚町川原(こうばる)の石丸ほずみさんから、新米が届きました。石木ダム計画地からです。「こうばる」の新米を炊き、そこに上流部に川辺川ダム計画がある「球磨川の青のり」(つる詳子さんにいただく)のふりかけをかけて、九州のふたつのダムで苦しめられている人たちへの思いを琵琶湖畔の我が家からつないでいます。ほずみさんが描いた原画の2023カレンダーも届きました。今年もあと一日、明日は大晦日です。理不尽な公共事業計画で苦しめられている人たちの力になりきれず、今年も終わってしまいます。河川政策の歴史と現実を長年研究し、日本の河川のあるべき姿を求め、自然の科学的真理に基づき、社会にとって最善の政策をつくるべき国会議員としても無力さを思い知らされています。もしあなたが住んでいるその住宅や耕している農地が理不尽な公共事業で強制収用されるとしたらどうでしょうか。他人事ではなく、民主主義を守る仲間として考えてほしいです。12月30日。(1800文字です)(また長いです、スミマセン)
川辺川ダムのことは今も時々FBで書かせてもらっていますので、今日は石木ダムについて詳しく説明させて下さい。石木ダムは、長崎県川棚町に、長崎県と佐世保市が計画しています。佐世保市の水道用の利水と川棚川流域の治水を目的に1975年に計画がはじまり47年になります。私の長男が産まれた年です。長男と同じ歳だけ、地元では反対運動を続けてきたことになります。住民が反対する理由は、「水の需要予測が実態とかけ離れている」「治水も河川改修で対応可能だ」として、ダムは必要ないという二点です。
確かに1980年代まで佐世保市は渇水で苦しみました。しかしその後、人口も減少し、予定していた工場誘致なども進まず、2010年代以降は日必要水量8万㌧以下となっていて、十分にまかなえています。グラフ図を添付します。そこに毎日4万㌧の水量を追加しようという佐世保市と長崎県の計画です。佐世保市民の多くも「佐世保は水不足ではない」と言っています。ダムの利水の必要性がそもそもないのです。
治水についても、長崎県は「100年に1度の規模の洪水に対応するためのダム」としてきました。昨年の8月に、100年に一度規模にちかい豪雨がありましたが、川棚川は溢れていません。治水の専門家も、河川改修で100年に一度の安全度は十分保てると言っています。
私も川棚川の過去の水害被害を調べ、現場踏査も何度もしました。確かに昭和23年の水害の死者が11名ありました。だから「川棚川は暴れ川」と長崎県はイメージ操作をしていますが、昭和23年以降、死者がでる水害被害はありません。また昭和23年の被害者も、石木ダムができても被害を防げない土砂災害や石木川が川棚川に合流する、それより上流部での波佐見川での被害です。逆に石木ダムをつくると上流部の波佐見川からの洪水と下流の石木川からの洪水が重なって、川棚町には余計に洪水が集中するのでは? 逆に危険性が増すのでは?と指摘する専門家もいるくらいです。
2019年には、長崎県知事の判断で予定地を強制収用する代執行が可能な状態になりました。つまりいつでも住民は追い出されることになりかねません。反対住民は2010年から工事予定地に座り込みをはじめ、この12月7日で1500回になりました。今年2月に選挙で当選した大石長崎県知事は、これまでの知事の方針を踏襲して、「ダムは必要」と言い続けています。医学博士の学位をもつ大石知事が、科学的にも真理と言い難い政策を受け入れていることは大変残念です。今回届いた石丸ほずみさんからのお米も、「不法占拠をしている国の水田」で栽培された米です。大石知事の判断ひとつで、住宅と農地から、13世帯50人の住民を追い出すことは可能です。知事の責任は重いです。
今までの日本の歴史で、強制収用により建設されたダムはありません。あの筑後川上流の下筌ダム建設にからみ、室原知幸さんが主導した史上最大のダム反対運動といわれた「蜂の巣城」問題でも、強制収用までされていません。公共事業での私有地の強制収容で有名なのは、成田空港建設で三里塚での強制収用がなされた例があります。生木に腰をくくって、農地を手放したくないと命がけで訴えた三里塚闘争のような、そんな政治的決断が迫っています。
今、日本社会が直面している人口減少や、経済的疲弊、そして未来への希望がもてない若者が増えている中で、これ以上、必要性の低い公共事業に貴重な税金をいれる必要があるのでしょうか。全体で500憶円を超える、長崎県の県費と国費そして佐世保市の水道事業費をいれる行政は、納税者に必要性を説明する義務があります。反対住民に限らず納税者の誰もが納得できる形で説明すべきです。皆さん、「もったいない」と思われませんか?