「大戸川(だいどがわ)ダムと琵琶湖•淀川の治水を考える会」のクリスマスイブ勉強会を開催。緊急のご案内でありながら、リアルで18名、オンラインで28名と46名の方がたが参加くださいました。マスコミ関係の方も数名参加くださいました。おこしいただいた皆さん、ありがとうございました。12月24日。(また長いです、1600文字)
流れは、まず今本博健(京大名誉教授)さんに、「淀川の治水:流域委員会はなぜ大戸川ダムに反対したのか?」として2001年以降の流域委員会での大戸川ダムの議論から国土交通省の説明に計画論としても誤りがあり、2008年には滋賀県職員が発見した誤りを当時の淀川水系流域委員会の委員長で河川工学専門の宮本博司さんも了解をして、正しく計算すると必要性が低いという経過を展開。明治以降、日本の官僚が定量治水を主張したのに対して、オランダのデ・レーケは反対したことなども辿っていただきました。
それに対して中川晃成(龍谷大学)さんも「fictitious(偽り)な治水の構想、その主体と過程―淀川流域を視野に」としてやはり国と滋賀県の説明の根拠が薄弱と指摘。大戸川ダムの建設で大阪府の水害被害が9兆円減少という根拠になっている大阪市淀川区の堤防部分には国が管理する河川公園があり、そこの河川をひろげるだけでこの被害想定はなりたたなくなるとわかりやすく解説。
(ちなみに大阪府の被害額は、私が知事時代の2007年には18兆円減少と国は言っていました)。
ついで今本・中川さんの対談では、水害を防ぐ、という根拠が薄弱であるだけでなく、2018年の愛媛県肱川の野村ダムの緊急放流で下流の鹿野川ダムも緊急放流を余儀なくされ、連動するダム二つの貯水量の放流で、下流が余計に危険になって合計9名の死者がでてしまったことに言及。大戸川ダムは天ヶ瀬ダムの治水効果を高めると国は言っているが、中川さんが図を提示し、ダムで貯留するがゆえに、降雨が重なり、一旦ためていた水量をまとめて流すことになり余計に危険になるのではと指摘くださいました。ここで中川さんが示してくださった図は説得的です。今までこのような図で説明くださった方はいませんでした。添付します。
野村ダムは2020年、7月6-7日の毎秒300トンだった水量が7日の午前8時には急に6倍以上の1900トンになり「ダム津波」のようだったということで5名の方が逃げ遅れました。20キロ下流の鹿野川ダムでも4名の方が逃げ遅れました。(ここには2018年12月に今本さんと嘉田が調査に伺っています)。
西野麻知子(元滋賀県琵琶湖環境科学研究センター部門長)さんは「琵琶湖の生物は、いつ、どこからきたのか?」として古代湖琵琶湖の400万年の歴史にからめて種分化のプロセスをたどり固有種が浅水域に多いことなどを紹介。琵琶湖の生物の歴史について900頁もの英文書籍を編集している西野さんです。そのエッセンスが日本語で読める『琵琶湖の生物はいつ、どこからきたのか』(サンライズ出版)の著作を参考にしていただけたらと思います。
最後には皆さんから今後の方向について意見をいただきました。結論的には、今、大戸川ダムも環境アセスが始まり、周辺道路の建設も大詰めであり、地形的にも地質的にも脆弱なところで安全にダム建設ができるのか、また「土一升に水一升」と言われるほどの土砂が多い大戸川で、穴あきダムの貯水後の景観への影響がどうなるのか、など課題はたくさんあります。第二回目以降も続けていこうということになりました。
龍谷大学里山学研究センターは、もともとの物理学者である中川さんのような研究者が、琵琶湖水位の歴史や、オールドオオツの街の歴史を水の流れと関わらせる歴史研究や、明治11年の滋賀県物産誌の内容を町丁大字地図でカラー地図化しており、まさに文理連携の研究が進んでいます。また河川政策や琵琶湖政策で実績のある田中滋さんや秋山道雄さんもセンターにかかわっておられ、骨のある研究者との交流が可能となりそうで楽しみです。
(またオンライン参加の皆さまには、音声がきこえにくく画像もみえにくかったということ、主催者としておわびいたします。次回以降、もう少し条件のよい会場を選べるようにします。)