流域治水の先駆河川、静岡市巴川を訪問してきました。10月に参議院災害対策特別委員会で9月の台風15号静岡市被害視察に伺いました。最大時間雨量93ミリ、一日総雨量500ミリもの豪雨でも一人も死者をださなかった理由を尋ねると、今から48年前の1974年7月7日の豪雨水害(「七夕豪雨」と言われてきた)で死者27名もの大変な水害被害があり、「流域全体で雨水を貯めて遊水池をつくり情報伝達も確実にしてきた、その学びと備えがあったから」ということ。それで11月13日、同じ参議院仲間の平山佐知子事務所さんにお世話になり、巴川流域を視察してきました。上流部では「保水」、中流部で「遊水」、下流部では「土地利用」「建物配慮」という「水害に強いまちづくり」を行い、まさに流域全体の対策が効果を発揮したことがわかりました。治水対策と同時に、遊水地は生き物も豊富で見事にグリーンインフラとして機能しています。流域治水の先駆的河川のエッセンスをお伝えします。11月14日。(1800文字、また長いです、スミマセン)
最上流の「保水」地域では樹林の伐採や農地造成で雨水を増大させないような規制を行っているということ。何よりも中流部の「遊水」「雨水貯留」地域の役割が見事です。昭和50年代から中流部の個人所有の水田を遊水地として静岡県と静岡市で協力して購入し、現在200ヘクタールの遊水地が完成しています。9月の台風15号では280万トンの貯留をしたということ。また学校のグランドや公園など800ケ所で雨水貯留施設を指定し約86万トンの効果をもたらしたということ。
何よりも遊水地の多面的機能が見事です。今回「あさはた遊水地」を訪問しました。日曜日の午前中で、早くから家族連れがたくさん遊びにきていました。生き物観察センターでは、環境教育専門のセンター長木下聡さんが展示内容や活動を案内下さいました。昔からの知り合いの松谷清さんも同席くださいました。水田が遊水地になり、土の中に埋もれていた貴重種のミズアオイやオニバスなどが蘇ってきたという。植物が賑やかに復活し、それにあわせてトンボなどの昆虫や魚類、またこれらを食べる鳥類がふえて生態系が蘇っているという。子どもたちも寄ってきてくれる。うれしいですね。
生物多様性に加えて、かつてあさはた地域の湿地で伝統的に行われてきた「柴漬け」という伝統的漁法やヨシの火入れ活動も再開しています。この遊水地の何よりの特色は、周辺の福祉施設や病院患者が、水辺の風景を楽しみながら、散策やレクリエーションなどで連携をしているということ。ドイツで「奇跡の医療・福祉の町」といわれるベーテル町の思想から影響を受けており、あさはた遊水地の周囲には全国的にも評価が高い、静岡県立子ども病院や静岡てんかん精神医療センターや特別支援学校があります。またそれぞれの活動を主体的に担う住民グループの皆さんが支えているということです。
七夕水害の記憶と記録を次世代に受け継ぐために静岡市立の「治水交流資料館=かわなび」を訪問。ここには「巴川シアター」という立体地形図に巴川の流域情報が光投影で展示され、七夕豪雨の時の被害の映像や証言とセットで投影されます。また浸水深が住宅内部でイメージできるような原寸大の家屋モデルや水位上昇の様子も表示されます。ここは静岡市内の小学生が遠足にきて七夕水害や河川のことを学ぶということです。見事に配慮された施設です。また「巴川探検隊」「わたしたちの巴川」などの教材も充実されています。
「そなえる」活動としては、地位毎の自主防災会の活動も活発で、望月光則さん、吉川康正さん、清水一男さんたちが、具体的に地域での活動を紹介くださいました。「防災ガイドブック」は見事です。事前に日常的に「町を知る」「人を知る」そして「事前の準備」「災害時の初動」「避難所運営」そして平時からの「近所づきあい」でお祭りや運動会などの行事を大事にと。見事です。皆さんお世話になりました。平山佐知子さんはあいにくコロナに罹患してしまいご一緒できませんでした。一日もはやい回復お祈りします。
実は今回の静岡市訪問では、千葉県船橋市の「流域治水の会 船橋」の山田素子さんと江川厚子さんも同行くださいました。船橋市では、現在の雨水貯留地域が、市の行政方針で新たに盛り土をされ医療施設や新駅建設が始まろうとしています。船橋でこそ、事前防災の流域治水が必要と江川さんたちも巴川からの学びを船橋で伝えていきたいという。ここは一時を争う深刻な問題です。