Facebook 2022年9月26日 守山市明富中学校2年生に「世界に誇れるふるさと、琵琶湖と守山」として講演

9月26日、守山市明富中学校2年生に、「世界に誇れるふるさと、琵琶湖と守山」として前半1時間の講演、後半は宮本和宏守山市長と守山市の環境政策課の武田みゆきさんを交えての質問タイム。講演のねらいには「琵琶湖学習とキャリア教育」の二つがあるということでした。そこで埼玉県生まれの私自身が、今から50年以上前の中学校の修学旅行で琵琶湖と比叡山の美しさに魅せられて関西の大学を選びアフリカ探検に出かけた、そんな人生経験から語りはじめました。9月26日。(また長いです、1800文字)
学生時代に探検部でアフリカに出かけ、アフリカでは水道やトイレのない暮らしが今でも当たり前のこと、琵琶湖周辺でも昭和30年代には水道や下水道もなく、し尿は肥料として農地で利用してきたことや、10年かけての琵琶湖博物館づくりについてもお話をしました。そして最後は、今年「世界農業遺産」として認定を受けた「魚のゆりかご水田」を含む「琵琶湖システム」の原点は、「エリづくりの木浜」「すし切り祭りの幸津川」地区をふくむ、明富中学校の地元であり、世界に誇れるふるさとであることを伝えました。
後半は一人1問ずつ、という質問をその場で記入いただき、その質問を分類しておこたえをする、という段取りにしました。宮本市長さんがずっと講演も聞いてくださったので、宮本さん、武田さんもまじえて、3人で質問にこたえるという場になりました。
最も多い質問は「琵琶湖」について71件。私が講演の最初で、比良浜の自宅の前の橋板写真をだして、「今朝ここで琵琶湖水を飲んで顔を洗いました」からはじめたので、そのことがかなり強い関心をひいたようです。琵琶湖についての質問の半分ほどは「琵琶湖で飲めるほどのきれいなところと汚いところとなぜ水質の違いがあるの?」という質問でした。その背景には周辺の人口密度や砂浜の浄化作用、山からの湧き水などの有無の違いということを解説しました。
宮本市長は、守山市のなぎさ公園の浜辺にも、湧き水がたくさん湧いている場所があり、ホンモロコやセタシシジミも棲んでいてそれを体験して感激した。是非、中学生の皆さんも、自分で琵琶湖にはいって、まるごと琵琶湖の水や生物とのふれあいを体験してほしい、とリアルな経験から語ってくださいました。ふりかえったら守山市は、琵琶湖流入の最大河川である野洲川と、ホタルが生息する小さな河川も多く、水辺環境の多様性が高いところです。
二番目に多かった質問はアフリカの水やトイレ、食べ物のことで37件。なんでアフリカでは水道も下水道もないの?と率直な質問。これは琵琶湖辺でも60年前にはなかった施設です。経済成長とインフラ整備の関係については十分説明できませんでした。三番目に多かったのは琵琶湖博物館づくりの苦労など。目の前に見える琵琶湖だけど、歴史の深まりと地理的ひろがりが見えなかったので、それを「見える化」する工夫について解説。
4番目は、個人的質問。なぜそんなに滋賀県が好きなのか、琵琶湖が大事なのか、なぜ知事選挙にでたのかが18件。それだけ深い価値を琵琶湖や滋賀県はもっている、ということを解説。宮本市長も、守山市内にある弥生時代からの服部遺跡や下之郷遺跡、そして卑弥呼の時代の伊勢遺跡など、守山市がいかに歴史的に深い文化をもっているかをわかりやすく語って下さいました。
そして、そもそも山がないのに守山とは?ここで守るべき山は、琵琶湖の対岸の比叡山であり、1200年以上前に薬師如来さまのご利益を広めたいと伝教大師がひらいた延暦寺の東の入口が守山市の「東門院」であり、大変由緒の深い地域であること。また明富中学校の名前の由来は平安時代の『和名抄』という辞典に書かれたこのあたりの地名であることを説明しました。
今日の最後には貴重な絵地図に対面。昭和30年代まで、明富中学校あたりの場所は、繁盛沼という内湖があり、その内湖につながる細い人工的な水路が30本以上ひかれ、まさに魚のゆりかごとなっていました。当時の地形を示す実物地図を見たい、とずっと熱望していたのですが、守山市の資料館から、そのレプリカを運んでくださいました。琵琶湖側にヨシ帯をひろげ、水田を広げると同時に魚を呼び込んでいたその有様がみえて感激でした。ここでつかんだ二ゴロブナがすし切祭りの二ゴロブナを供給していたのですね。生態と文化の複合的関係、世界農業遺産の現場を見る思いでした。講演会のご準備いただいた皆さまに感謝です。
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