「大津市大石・龍門 里山ものがたり(1) 春祭りから米づくりがはじまる」(長いです:微笑)。4月18日。
赤穂浪士で有名な大石内蔵助の先祖は近江国守護佐々木氏のもとで大石庄の下司職をつとめ、大石を姓にするようになったと言われています。応仁の乱の頃という。大石庄は今、大津市大石地域となり、中、東、淀、龍門、曾束、小田原、富川という7つの字があります。その中の大石龍門町には、全国にファンが多い和菓子の叶匠壽庵(かのうしょうじゅあん)の拠点である「寿長生(すない)の郷」があります。
新時代の高級和菓子を生み出し人気を集めてきた「叶匠壽庵」。有名百貨店を中心に出店しブランド力を高めてきましたが、その原点は素材へのこだわりとデザイン力です。老舗のように見えますが、創業は今から60年前の昭和33年(1958年)。当時大津市職員だった芝田清次さんが、大津の歴史や風土からヒントを得て、工夫を重ねて産み出してきた和菓子の数かず。
私自身の強烈な最初の印象は、絞りのはいった風格ある包装紙です。その裏に封筒として再利用できる印刷がほどこされたその「もったいない思想」が隠された工夫に心動かされました。琵琶湖辺の地域調査を開始し、大津に住みはじめた1970年代中頃ですから50年も前です。大津から外に出る時には必ずお土産として求めてきた、愛するお菓子です。
30数年前、二代目社長の芝田清邦さんは、大津市南部のなだらかな大石龍門の里山の丘陵地に約千本の白梅を植えました。「和菓子は日本の美しい自然とともにある」という思想が原点です。当時、「あの都会センスいっぱいの叶匠壽庵さんが農業?!」と驚きました。今はその梅たちも大きく育ち、3月には一斉に開花し、ふくよかな香りが漂うなか、その景色は真っ白な絨毯を広げたような眺めです。
私自身、この「寿長生(すない)の郷」の「和菓子の素材を自ら育てる」という「農と技能」の一体的な思想に共鳴し、3年ほど前から「鳥梅」(うめ)という叶匠壽庵さんの小さな冊子に「琵琶湖と人びとのかかわり」などをテーマに毎号エッセイを寄せてきました。これまでに3年間、12本のエッセイを書かせてもらいました。
「寿長生(すない)の郷」が大石龍門にできて33年。創業家3代目、芝田冬樹社長は本拠地「寿長生(すない)の郷」で新しい挑戦を始めつつあります。それが「地域社会とつながる企業活動を!」ということです。大石龍門地区は、その名前の通り、周囲を山に囲まれ真ん中を大石川が流れ、まさに水の神さまの龍神さまが住まうような風景に包まれた「盆地的宇宙」です。山から産まれる美しい水と、大地が育てるふくよかな梅など、自然の恵みこそが原点の和菓子づくり。
大石龍門の山ふところには民家が列状につらなり、その足元を、大石川の上流から引いてきた農業用水路が流れています。この大石地区の自然のなりたち、水田農業の仕組み、米つくり、暮らしぶりなどを、「叶匠壽庵」の職員さん自身の手ですすめたいので地域研究者として指導してほしい、というお誘いを受け、この3月から大石龍門の調査にはいっています。まさに「新鮮なよそものの眼」をもった若い職員さんたちと協働の「大石龍門・里山ものがたり」です。
3月から4月にかけて、大石川の水源を辿り、農業用水の水源地を確認し、水の流れに沿って、集落の水路清掃(井手ニンソク)にも「叶匠壽庵」の芝田冬樹社長自ら、職員さんとともに参加しました。そして4月15日の大石龍門の八幡神社の春祭りにも、芝田社長が率いる若手の元気な担ぎ手を13名もひきつれて参加をしました。
龍門の神輿渡御は、若手の担ぎ手がいなくて一旦消えたようですが、数年前に当時の自治会長さんが中心となって復活をさせたということ。そもそも祭りの神輿渡御とは、普段は神社に鎮座している産土神さまが、年一回自らが治める領地を巡業し、その土地と人びとの安寧を見守り、豊作を祈願する祈りの行為です。それゆえ、どのようなルートでまわるかというのが大変重要です。
その巡業ルートを見せていただき、私自身感動しました。理論通りです!山裾の水田に水を引くための水路沿いをくまなくまわります。そして今年から、「寿長生(すない)の郷」の敷地にまで神輿をかつぎいれることになっていました。これは画期的です。集落の皆さんも「寿長生(すない)の郷」を自分たちの領域仲間と認識してくれた証拠です。
ということで4月15日、朝10時の神事から、夕方5時近くまでの神輿渡御を最後までおいかけさせていただきました。里には水がはいりはじめ、山は新緑で萌えはじめた龍門の里の祈りを楽しませてもらいました。子どもたちの「龍門子ども神輿」も可愛いです。写真を添付します。神輿かつぎの息吹、感じて下さい!
写真提供いただきました叶グループの皆さん、ありがとうございました。長い話におつきあいいただき、ありがとうございました。