2022年7月28日は、「平成河川法の魂が殺された日」と日本の河川政策史に刻まれる悲しい記念日となるでしょう。残念です。日本の河川政策史上、流水型(穴あき)ダムとしては前例のない最大規模の川辺川ダム(球磨川上流)を含む河川整備計画を、蒲島熊本県知事長が「異存なし」と表明。これで一気に河川整備の建設事業が進むことになる。蒲島知事は「命と環境を守るために川辺川ダムが必要」と繰り返し主張。本当に「命と環境を守ることができるのか?」。河川空間に100メートルもの高さがある大きなコンクリート壁をつくり、数メートル四方の穴をあけて水流を担保するという穴あきダムでいかにして「15年連続水質日本一」「清流アユが誇り」の川辺川の水質、生態系、環境を守ることができるのか。7月30日。また長いです(2000文字)。
この4月に公表された河川整備計画には、川辺川ダムでいかに命を守り、環境を守るのか、具体的に何の記述もなく抽象的に「命と環境を守る」というスローガンだけで、2700憶円もの予算を必要とする川辺川ダム計画が公的に決められることになる。しかもこれまでに投下した2200憶円をあわせて4900憶円のダム建設では、費用対効果は0.4と、税金を投入する公共事業の目安となる1.0をはるかに下回っている。財務省は、岸田政権は、これほど費用対効果が低い公共事業に税金を入れる事を認めるのか?国家としての財政規律の本質的問題であろう。「税金無駄遣い、もったいない!」。秋からはじまる臨時国会で、私自身、国会議員としても財政規律の問題を糺していきたい。
さらに、川辺川ダム建設で本当に流域住民の命を守ることができるのか。2020年7月4日の水害直後から、私たちは地元の被災者の皆さんといっしょに、「何が生死を分けたのか?」という疑問をもって、50名の溺死者お一人おひとりの溺死場所を訪問し溺死時間や、洪水はどこから来たのか等、緻密に聞き取り調査を重ねてきた。300人以上の地元住民の方の証言を得て、もし川辺川ダムが完成していたとしても、2020年7月4日の降雨パターンでは50名の溺死者のうち48名の命は救えていないという調査結果を得た。
この結果は調査した私たちにも驚きだった。球磨川水害溺死者といえば、球磨川の本流が溢れて溺死したのだと思いがちだ。それゆえ本流の水位を上流部で下げる治水ダムは、溺死者を減らすために有効だろうと思っていた。しかし、ひとりずつ調べれば調べるほど、本流が溢れる前に、人吉市なら山田川や万江川、御溝川という支流や町中水路が溢れて、その水に呑まれて亡くなった人たちが圧倒的に多いことがわかってきた。ではなぜ支流が先にあふれたのか。1000メートル級の山やまに降った線状降水帯の豪雨は、人工林の皆伐やシカ害で荒れ果てた山地から一気に濁流となって人吉市内を襲ったのだ。。
下流部の球磨村の渓流部では山岳部から直接球磨川の水位があがり溺死者を出した。球磨村からはるか50-80キロ上流の川辺川ダム。ダムの水位低下効果がでるはるか前、早朝に下流部でも溺死者がふえた。
川辺川ダムが完成していたとしても、溺死者の数はほとんど減らない、という結果を樺島知事と、国土交通省の担当局長に提示してきた。もし疑問があるなら、溺死者の原因究明を行ってほしい、と昨年春以降、繰り返しくりかえし、熊本県と国土交通省に要望してきた。しかし県は「検証の必要はない」、国は黙殺のまま、川辺川ダム建設を含む河川整備計画が正式に策定されることになります。この点も国会で問題提起したい。
治水だけを目的とした明治時代の河川法、昭和30年代の高度経済成長期に利水が追加された昭和河川法。川の水を使いたい放題、利水や電力需要にまわし、コンクリート化した河川から、生き物の姿が消え、そこで遊ぶ子どもたちの姿も消えた。そこで1990年代から河川法の目的に「環境保全」を明示し、整備計画決定のプロセスで「住民意見の反映」という項目が追加された。1997年の「平成河川法」は、地球規模での環境問題に対処する、日本の河川政策史での画期的な改善だった。
今回の、川辺川ダム建設を含む球磨川流域河川整備計画は、平成河川法の目的や精神を全く無視したものとなってしまった。平成河川法づくりに、河川研究者としての魂を燃やしておられた故高橋裕東京大学名誉教授や、河川法改正時の河川局長でおられた尾田栄章さんや多くの河川政策官の皆さんは、今回の球磨川河川整備計画づくりのプロセスをみてどう思われるだろうか。直接意見が聴きたいです。
また何よりも、2020年洪水で命を失った50名の溺死者の皆さんの犠牲を無にしないためにも、「山地破壊の影響」「シカ害を減らす」「支川氾濫の減少」「土地利用の配慮」「平屋の危険性」「高齢孤独者の避難支援づくり」など、ダム建設の前にすすめるべき、心のこもった流域洪水対策が必要だ、ということを今後とも発信し続けたいです。