フナズシも米も「つくる」のではない。「守り」をして育つ! 高島市のふたりのUターン若者、ふなずしの「魚治(うおじ)」の左嵜謙祐さんと、米の「針江のんきいふぁーむ」の石津大輔さんのお二人が語りあった、伝えあった。2月12日。(また長いです)^_^
外は雪模様の中、マキノ・海津・湖里庵での「なでしこ食hana 咲かそう」プロジェクトの勉強会に参加させてもらいました。お世話いただいた皆さんに感謝です。
左嵜さんはふなずし屋の跡取りで、いつかは家に帰るという思いで調理師として都会で腕をみがいてきた。お父さまが若くして亡くなり、7代目の魚治をつぐべく帰ってきた高島。なかなか仲間ができず、友人ができず、もどかしい思いでいたという。
一方、都会で衣服関係の商売をしていた石津大輔さんも、都会に出て始めてお父さんの文雄さんが培ってきた有機農業の価値が見えてきた。米や食物の大切さを感じてUターン。商売抜きで楽しめる、異業種の人たち、農業以外のところで出会いたいと思っていたという。
ふたりは東京の大近江展など、滋賀県の産物販売の場で出会い、だんだんに意識しあうようになった。そして数年前の東京・新宿のメキシコ料理の店での語らいがお互いの距離を近くした。その内容を私なりに紹介すると、共通の思いは「守りをする」という基本姿勢というか哲学。ふなずしも「つくる」のではない「守りをする」、米も「つくる」のではなく、「田んぼの守り」をして、田んぼの力の手助けをする。
左嵜さんは語る。ふなずしはつくるのではない、蔵持ちの乳酸菌の働きを助けているだけと。先代から「歯車になれ」と言われてきた。先祖代々伝わってきた蔵の中で生きる乳酸菌の手助けをする。滋賀県の代表的な食となったふなずしを正しく次の代に伝えるのが自分の仕事。桶の中で乳酸が増えると物が腐らない。それがすしの起源。
海津は気温が低いので2年つける。水がえして、温度や湿度をみながら空気調整をする。すしが発酵していると石の重りが動く。重心がずれて重石が落ちることさえある。重りの調整も必要。ふなずし屋の仕事の八割は「守り」をすること。2年間の守りの結果、桶をあける時には、神に祈る気持ち「神頼み」で、お神酒をお供えすると。
一方、石津さんも毎年毎年、米を育てるその経験とはなにかと考えてきた。職業としての自信がなかなか生まれない。美味しいと言われるお米は今は多い。まずい米をさがすほうが難しいくらい。魚沼の米のようなおいしい米をめざすのか。自分は違うと思った。
滋賀県で与えられた環境の中で「地の味」とは何だろう。土地らしい味は何か?土地らしさが生きて、水があって、空気があって、その守りをする。農薬や化学肥料を外部からいれる農業は便利だけど、結局外の力を借りることになる。地元の土、水、空気、生き物、大地に根差した米。これはつくるのではない。まさに田んぼまかせ。天候、自然まかせ、どうなるかわからない、予測通りにならない。田んぼの力にまかせる、それが自分の米育て、という。
「身土不二 」(しんどふに)という言葉がある。「身」(今までの行為の結果=正報)と、「土」(身がよりどころにしている環境=依報)は切り離せない、という仏教概念だが、まさにお二人が到達したのは、それぞれの経験からしぼり出された「身土不二」のようです。フナズシの蔵の中の「身土不二」、針江の水、大地、生き物の中で育つ「身土不二」。
今、私たちの身の周りは「遠い食」「遠いエネルギー」「遠い水」そして「遠い人」に頼り切っている。日本人の不安、今の私たちの精神の根っこにある不安がなぜ広がっているのか?かつて私自身、「近い水」「近い川」を取り戻すために、行政組織の中で「川守り人」が育つような仕組みを国土交通省の委員会(淀川水系流域委員会)で提案しました。その折、「守り」という言葉は却下され、「河川レンジャー」という名付けになった。
「レンジャーではなく守り」という言葉がおのずと経験則から生まれ、根付いているその意識こそ、高島らしさ、滋賀らしさではないだろうか。今日、若いお二人のお話を伺い、大変心強く、うれしく、たのもしく思いました。