晴天の琵琶湖を「橋板訪問カヤック」で南比良から雄松崎(近江舞子)を水上ツアー。午後は近江舞子で「関島秀樹コンサート」。第2回びわ湖音楽祭プレイベントです。大阪からの「ぽぽっぽくらぶ」の松口三姉妹は、琵琶湖水の透明な美しさに感動!カヤックからアユの大群や大きなコイの魚影を楽しんでくれました。4月21日(今日も長い!スミマセン)。
大津市南比良の浜口喜三郎さんからまず、水道がはいるまで橋板で水を汲み、顔を洗い、風呂の水を汲んで、生活の場として湖を活用していたことを説明していただきました。あたり前に使いなれた存在であり、今も洗いものに使っているという。南比良の橋板再生プロジェクトのメンバーから激励を受けて出発!
南比良の4基の橋板沖を北へ向かう。南比良も北比良も明日のお祭り準備で、道の草刈りをしたり提灯をつけたり忙しそう。北比良の「総蔵(そぐら)」の前では昔の湊跡の石垣近くの湖底にアユの大群を発見。常夜灯付近では石垣ならではの貴重な花類も見える。比良川河口浜では、大柳ふもとの橋板付近で休憩。飾られたマルバヤナギの新緑は琵琶湖床の間!
カヤックツアーの主役は、大阪からの「ぽぽっぽくらぶ」の松口三姉妹。小学生時代から蒲生野考現倶楽部等を通じて琵琶湖学習をしてきた皆さんももう高校生。早い!「カヤックははじめて!」と言いながらすぐに慣れて、すいすいと漕ぎだし、いとも簡単に最後まで漕ぎ抜く。「来年は雄松崎から今津まで行く!」と宣言。お母さんは「距離がわかっていないのよ!」と心配顔。
雄松崎では、関島さんたちが琵琶湖周航の歌をうたいながら、迎えてくれました。昼食は、近江舞子の北村さんお手製の「花椿寿司」つきのきつねうどん。花椿は、琵琶湖周航の歌二番に出てくる「赤い椿」に見立てたもの。白汀苑の今井一郎さん、お世話になりました。
関島さんの声を聴きたいというファンが60名以上、「ほとり・ポトリ」に集まってくれました。地元だけでなく遠く川崎など遠方からも関島ファンが!これには驚き。
関島さん、琵琶湖周航の歌からはじまり、自作の歌を中心に12曲。大津市の市制100年の「大津幾千年の歴史を越え」、志賀町が大津市に合併された2006年につくったお別れの「この町が好きだから」、2016年の山の日制定にちなんだ「山にむかいて」など20年以上この地に暮らしてきた関島さんならではの熱い思いがこもった歌の響き。ギターだけでなく、ハーモニカも同時に奏でながらの歌声には深く感動!
昨年5月につくってくれた「橋板のねがい」。浜辺にさしかけられたたった3メートルほどの板。この地味な橋板が、関島さんの歌によって輝いてくることを私の方からも紹介させてもらいました。
♪遠い遠い昔から 近江の西に住む人は
♪湖岸に小さな板を渡して 暮らしの知恵を活かしてきた
♪豊かな浜の恵みを 大切に守ってきた
♪米を研ぎ ものを洗っても 汚れるものは流さない
♪水は大地をうるおし 湖(うみ)に注いでゆく
♪暮らしと琵琶湖をつなぐ命の板を 橋板と呼んだ・・・
最後には琵琶湖周航の歌を6番まで、参加者全員で肩を組んでうたいました。今から101年前の大正6年(1917年)6月27日。当時の三高ボート部のクル―がまさにこの「ほとり・ポトリ」の横の「雄松荘」に泊り、クル―の一員の小口太郎が産み出した琵琶湖周航の歌。松林からのぞむ琵琶湖を眺めながら小口太郎が友人に出した絵ハガキの絵を思いおこしながら、100年の時代を経て、多くの仲間とこのように歌の心を辿ることができることに思わず涙があふれました。
絵ハガキにはこうあります。「雄松は淋しいところで、松林と砂原の中に一軒宿があるだけだ。羊草の生えた池の中へボートをつないで夜おそくまで砂原にねころんで月をながめ、美人を天の一方に望んだ。今朝は網引きをやって面白かった。今夜はこの今津に宿る。今津で」
時代をこえて、この美しい琵琶湖の情景を共有できるうれしさ。この思い、周航する音楽祭の共通するモチーフになるかもしれません。時代をこえて、人はどのように過去の先人の思いに近づくことができるのか?まだまだ挑戦は続きます・・・。(写真協力:瀧健太郎さん、関島秀樹風の丘音楽工房さん、浜口輝男さん)