「周航するびわ湖音楽祭」の第4回目を6月12日に長浜文芸会館で開催。「来年も来るよ!」との、会場を出る人びとの満足顔に力いただきました。2017年に「琵琶湖周航の歌誕生100周年」を記念して大津からはじまった「びわ湖音楽祭」。プロデュースの加藤登紀子さんが「毎年一回ずつゆかりの土地で、6番まで行こう!」と妄想のような(?)企画を出され、実行委員会メンバーも乗り気で、ようやく4番の竹生島(長浜)まで来ました。6月13日(また長いです、すみません、1800文字です)。
第一部は地元の住民参加、第二部が登紀子さんのソロ舞台という企画です。最初のオープニングファンファーレは、長浜バイオ大学と近江高校の吹奏楽部の合同舞台。中谷満実行委員長の指揮が光ります。次いで長浜小学校の子どもたちの「生きている琵琶湖」。「こんなにたくさんの水はどこからきたんだろう♪♪」と子ども目線で琵琶湖の不思議を歌い込んでいます。加藤登紀子さんが2001年の「里帰り湖沼会議」の折に作詩・作曲してくれたオリジナル曲です。
次いで、これも加藤登紀子さん作詞・作曲の長浜バイオ大学校歌「悠久の街」。「空と大地がとけ合う水辺 過去と未来が出逢う今♪♪」を長浜バイオ大学市民コーラスの皆さんが合唱してくださいました。そして最後は「和太鼓は世界をつなぐ滋賀夢プロジェクト」の皆さんの躍動感あふれる、元気いっぱいの和太鼓演奏。ばちさばきの見事さに圧倒されました。乱れ打ちの中に調和があり、感動的でした。
また今年の特別企画として、落語家の川崎つくしさんの「琵琶湖周航の歌」創作落語(奥村忠一作)が、幕間を、笑顔誘う落語でつないでくださいました。いやおうなく、一番から六番まで、琵琶湖を一周してしまいました。見事な出来映えでした。
登紀子さんの舞台は、78年の人生、歌手としての57年が凝縮した感動の世界。戦争末期に満州で生まれ、命からがら引き揚げてきた登紀子さんにとって戦争はまさに自分ごと。今、ウクライナ危機に直面して、戦争とは?平和とは?と、歌い手としての体いっぱい、心いっぱいの訴えが会場全体に響きました。満席の会場全体が一体となった音楽祭!!感動的でした。最新のウクライナ支援のCD「果てなき大地の上に」のニューアルバムの一部を、そして「百万本のバラ」も披露。
そして最後は第一部の出演者全員を舞台に呼んで、琵琶湖周航の歌フィナーレ大合唱。登紀子さん、「私のアルバムは4番までしかいれなかったけど、6番までいれないと長命寺までたどり着かない。人生をうたいこんだ周航の歌、ここは6番までみんなで!」と呼びかけて、子どもたちも6番まで、大声で合唱してくれました。
また長浜市の浅見市長に最初のご挨拶をいただきました。若い頃、司法試験という、人生の一番苦しかった時に、登紀子さんの百万本のバラを聴きながら乗り越えた、というエピソードはわかりやすかったです。浅見市長は最後のフィナーレまでご一緒下さいました。また三日月知事がきわめて多忙なところ、大津からきてくださり、第一部の終わりでご挨拶いただきました。来年の第5回目をひらく彦根市からは和田市長がおこし下さり、いっしょにフナーレに参加くださいました。
なお、長浜駅前では、「まちなか企画」「ストリートびわ湖音楽祭IN長浜」を、元Lefa の北川陽大さんと、滋賀県高等学校軽音楽部会代表幹事の村田良さんが開催してくださいました。県下の8高等学校から23団体、150名の高校生が参加。コロナ禍になって2年間、ずっと我慢していた高校生たちの熱気が一気に発散したということ。私も少し、見に行かせていただきましたが、進行から演奏、すべて高校生のづくりで見事なコンサートでした。高校生から「楽しいです!」「機会を下さってありがとうございました!」と言われて北川さんもうれしかったということです。