6月2日。昨年12月20日に永眠された平和堂代表取締役会長の夏原平和さんのお別れ会が大津市内で開かれました。私は参議院本会議とぶつかってしまい、残念ながら参加できず、古谷秘書に託して、下のような「思い出の言葉」をご仏前にお供えさせていただきました。お別れ会の会場写真は奥村展三さまからご提供いただきました。思い出の写真は私のアルバムからです。いつもにこやかだった平和さん・・・どうぞ、安らかにお眠りください・・・合掌。(1500文字 長いです)
―――――思い出の言葉―――――
生涯「平和」を愛し、実践した夏原平和さまの魂よ、永遠に!! 嘉田由紀子
2006年に滋賀県知事に就任以降、当時の平和堂社長の夏原平和さんと親しくお話をしていただく機会が増えました。最初に伺ったのは「平和(ひらかず)」というお名前の意味です。お父さまの平次郎さんが昭和10年代の日中戦争に兵役従事をして帰国した時、昭和19年に生まれたご長男にあえて平和をもとめて、「平和(ひらかず)」と名付けたという。大変感動的なお話を伺いました。
平和さんの、いつもにこやかな笑顔に癒された人も多いのではないでしょうか。私も、経済界に不案内なまま知事に就任し、姉妹州の湖南省訪問にご一緒した時にも、中国式の乾杯の仕方など教えていただき、大変心強かったです。
平和さんが平和を愛するその真骨頂を実践なさったのは、2012年、湖南省長沙の平和堂が反日デモで襲撃された時でした。2012年8月から9月にかけて、尖閣列島問題をきっかけに、中国各地で反日デモが繰り返されました。9月15日には日本企業への大規模な襲撃が引き起こされ、湖南省、長沙に進出していた平和堂の店舗も大変な被害を受けました。その直後、滋賀県知事として、私はすぐに湖南省長に、平和堂の再建にむけて省としても応援してほしいとメイルを送りました。
夏原平和社長はすぐに自ら湖南省に飛んだ。そして地元従業員に「再建して事業を続ける」「給料は払い続ける」という決意表明をした。さらに湖南省の政治トップと出会い、二度とこのようなことが起こさないという約束をとりつけた。平和堂では反日デモの影響でやめた社員は一人もいなかったという。それは夏原社長の平和を愛する信念が生きていたからだろう。
「日本人も中国人も関係ない。ここではお客さまに良い商品とサービスを提供すること」に徹したという。平和堂では従業員を大切にして、日本での研修を十分行ってから店に出るという習慣を実践していた。そのような平和堂哲学が反日デモでの平和堂の襲撃からの、短期間での再建に役立ったといえるだろう。この顛末はTVでのドキュメンタリー番組にもなりました。
平和さんがリーダーシップをとってくださった事業はたくさんありますが、今も思い起こすのは、買い物に出にくい方たちへの「お買い物サービス」です。知事として、お買い物に不便をしている方に宅配サービスができないでしょうかとお願いしました。すぐに、平和堂さんの退職従業員の皆さんが主体となって、買い物サービス事業を計画くださった。
平和さんの、滋賀県の地域社会への貢献は、書ききれないことがたくさんあります。今、ウクライナ紛争の元、平和さんがお父さまの平次郎さんから受け継いだ平和な世界への思い、私たちも強い心と希望をもって、受け継いでいきたいと思います。平和さん、どうか、やすらかにお眠りください。・・・・・ 合掌