「お誕生日おめでとう!」をこんなに多くの皆さまにお届けいただき、ありがとうございます。恐縮です。まとめレスとさせて下さい。私を産んでくれた母に感謝です。72歳の「五黄の寅」。子ども時代、父から「嫁のもらい手がない」と心配された気が強い娘。幸い心優しい伴侶に出会い、子どももさずかり感謝です。その父が生きていたら102歳、母も同年でした。最近、兄が編集してくれた母の実家の『北堀物語』に、日赤病院に入院中の母を見舞う3歳の私の写真がありました。母は結核でした。多分、私が映っている写真で一番幼い。4歳の写真もあるが、いずれも母の実家で写したもの。兄が母のお腹にいた時の写真もあった。畑仕事の最中。横顔はまさに自分を見ているようでよく似ています。5月18日。(長いです、1800文字)
昭和19年に兄を、昭和21年に姉を、昭和25年に私を産み、父の弟・妹・父母をふくむ13人家族の食事と洗濯、その上、養蚕や野菜づくりなどの農業仕事。過労と戦後の食糧不足もあり、結核を発病。ところが「肺病病みの嫁はいらない」と夫の父(舅)から、昭和28年1月28日に実家の北堀に追い返された母。箪笥の底に隠され、死後に発見された日記は、この日付から始まっていた。実家で数年、日赤の入退院を繰り返しながら、闘病生活を送った母と幼い私。日記には夫と夫の家からの仕打ちのひどさに「離婚」という言葉が何度もでてくる・・・。でも体も弱く、経済力もなく離婚には踏み切れなかった母・・・。
「子どもは生まれる親も、家族も、地域も時代も選べない」。今、私自身が、なぜ国会議員として、「子どもの幸せづくり」を真っ先に考える政策を求めているのか。私自身の生まれてきた家族にひとつの原点があります。もしあの時、母が離婚をしていたら、私と兄と姉はどうなっていただろう。
今、日本では3組に1組の夫婦が離婚をし、親の離婚に直面する未成年の子どもは毎年21万人も!その上、日本では明治民法の家制度を守るための「単独親権」をいまだに踏襲し、離婚をきっかけに「片親ロス」を強制される子どもたち。子どもの養育計画なしに、ハンコひとつで離婚ができるのは日本だけ。「ひとり親」という言葉がこんなに日常化している社会もおかしい。親は生物学的にふたりいる。ヨーロッパ、アメリカ、ほとんどの国が離婚後の共同親権を規定し、子どもが貧困にならないよう、子どもが精神的困難に直面しないよう共同養育計画の義務化などの仕組みをつくっています。
昨年2月には、法務省もようやく動き出して、「離婚後の子どもの養育」について、法制審議会に上川大臣が諮問を出しましたが、その議論では、「共同親権は危険」「DVから女性が逃げられない」と、片親親権を主張する人たちの声が大変強くなっています。何のための、だれのための法制審議会なのか?5月17日にも参議院の法務委員会でこの件について質問、明日、19日の法務委員会でも離婚しても父母両方とつながっていたい、という子どもさんの声を届けようと思います。
皆さんの回りに父母の離婚で影響を受ける子どもさんはいませんか?なかなか声をあげにくいと思うのですが、今、改めて日本の子どもたちの幸せづくりのためにも、親の離婚が子どもの不幸につながらないよう、法制度などの仕組みを整えていきたいと思います。
今日、参議院本会議で、「子ども家庭庁」の議論がはじまりました。ただ、残念ながら、ここでも子どもを囲む法制度の議論は全くでませんでした。子ども、子育てへのサービスと財源配分などが中心です。もちろんこれも大切ですが、子どもをとりまく家族法や法制度は、明治民法の時代遅れの要素を遺したまま、女権獲得や子ども福祉を名乗る法律家や政治的ロビイストの手中におさまっています。
しかし、多くのマスコミも共同親権制度の導入には及び腰です。というか、報道することさえタブー視されています。強力な世論ロビイストからのネット上の攻撃等が怖いからです。見えない世論誘導の中で、親の離婚に直面した「子どもたちの最善の利益」がないがしろにされています。私自身、母親ゆずりの辛抱強さで、この問題にあきらめずにつきすすんでいきます。72歳の誕生日の、あらためての決意です。