琵琶湖上には、日本だけではなく世界的にもめずらしい、淡水にうかぶ沖島があります。私がはじめて沖島を訪問したのは今から40年前の1982年1月。左義長の火祭りに当時保育園児の息子たちも興奮していました。沖島の昭和30年代の暮らしを映像に残してくれた前野隆資さんの写真をもって島通いをはじめたのは1990年代の琵琶湖博物館準備室の時代。湖水を直接飲み水にしながら清浄さを保ったサンバシ利用の工夫を琵琶湖博物館に展示。その工夫を語ってくれたのが茶谷よし子さん(昭和7年生まれ)。よし子さんのお嬢さまがあいこさん(昭和25年生まれ)、そしてあいこさんのお嬢さんの奥村ひとみさんが今、沖島の「汀の精(みずのせい)」というお食事どころと交流の場を提供してくれています。「汀の精」からの便りを報告させてください。5月17日。
「汀の精」で、フランスから「創作旅行記プロジェクト」を行っているリュドヴィックさんとヴァイオリニストで奥様の武田洋子さんをまねいて沖島ならではのミニ音楽会が開催されました。久方ぶりの沖島で、フランスからの吟遊詩人のようなリュドヴィックさんと武田さんの奏でるフランス語の音楽の世界。後ろの窓からは、漁師さんの船が走る音。この出会いがなんともすてき。しばし心を遊ばせていただきました。「大地と自然の癒し」を謳うお二人は今、CDを準備しています。日本だけでなく、アフリカモロッコやイタリア、世界の自然と人との暮らしを唄に!素敵です。
そして、40年前からの沖島訪問のたびにお世話になっていたのが、民宿「島の宿」の久田徹士さんです。3月に亡くなられたということを聴き、今日は、お墓参りもさせていただくことができました。ご自分がつかんだコイやフナやウナギ、そしてゴリ。加藤登紀子さんも何度も「島の宿」に泊まり、徹士さん夫妻のご馳走に酔いしれていました。また竹を刻んでエビタツベ(漁具)も手作りしておられました。自立自営の技と魂を持たれていた徹士さんのお顔をうかべながら、お墓に手をあわせていただきました・・・合掌。
実はいつも比良浜の橋板で、朝いちばんのコップ一杯の水と顔洗いその時、対岸に見えるのは沖島と八幡山。朝、比良浜から沖島を写させてもらいました。ハマヒルガオが一斉に咲き始めて、沖島遠景にハマヒルガオ。そして琵琶湖大橋をこえて対岸の沖島へは1時間ほど。沖島からは逆に、島浦に出て比良の我が家あたりを撮影。同じく比良山の麓近くにくらす小松明美さんとふたりで遊んできました。
40年の間に、大きく変わった沖島。当時は島の人は自分たちの暮らしは時代遅れだと思っていたようです。でも今、改めて時代を先取りしている、「懐かしい未来」を感じさせてくれる島です。石油文明による地球規模の環境破壊とグローバル化による食料不足など、不安が増大する今だからこそ、沖島は地域資源循環型社会の先取り小宇宙。奥村ひとみさんはじめ、皆さんの「もんて」の活動など、今後も応援させていただきたいです。