「球磨川水系河川整備計画」意見書二通のうち、二通目の「流水型ダムの環境問題」を提出しました。先月から300頁に近い分量の全文を読み始め、どうにか6日の午後5時の締切に間に合いました。かなり長いですが、お時間がありましたらお付き合いください。5月6日(2000文字、長くてすみません)
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参議院議員 嘉田由紀子 (前滋賀県知事)
第5章「実施」の116頁に「川辺川における流水型ダムの環境保全の取組」「人と河川との豊かな触れ合い活動の場の保全」との記述があります。また「緑の流域治水の基本理念」が88頁にあります。関連して、以下3点の疑問をださせていただきます。
(1)「地域の宝である清流を積極的に保全する」「環境への影響を最小化する」(116頁)とありますが、これまで日本国内での流水型ダムは5ダムしか完成しておらず、またいずれも貯水容量700万トン以下の小型ダムです。これらのダム建設による水質影響や、動植物への影響については信頼できるデータがいまだにありません。よしんばあったとしても、川辺川ダムはこれら小型ダムとくらべて1億3000万トンの計画で既存小型流水型ダムの20倍以上です。
日本の河川生態系は専門家によると、大変繊細で、多様性に富んでいます。もし、穴あきダムだからアユや渓流魚が上流に上ると主張しても、アユや渓流魚は、川底のコケや水生昆虫を餌にしています。水だけ川底に流れても、水生昆虫は、巨大なコンクリート壁にぶつかって上流へ移動できません。一般的に水生昆虫の幼虫は下流に流されますが、親は上流にむかって飛ぶことで、上流部にも水生昆虫が毎年生息できるのです。水だけ流したら、たとえ、河川の空間をコンクリート壁でふさいでも河川環境が保全できる、という主張は、「木だけ見て森を見ず」という、単一要素還元的な近視眼であり、河川生態系の本質理解から大きくはずれています。
さらに1億3000万トンの巨大ダムとなると、水底の流れは100メートルを超えると思われます。そのダム底の真っ暗な水路をアユが果たして遡上するでしょうか?アユは明るい河川で、エサを求めて移動します。真っ暗な水路に、まさか電気をつけるからアユが移動するとでも主張なさるのでしょうか。そういえば、球磨川中流部の瀬戸石ダムの横にあった魚道の効果を広報する「川のとっとっと館」では、アユが頭にカンテラをつけている絵がありました。洪水後どうなっているのかわかりませんが、まだ確認していません。ただ、生き物それぞれの命をつなぐための生息条件を全体として理解する覚悟をもたずに「環境保全」と軽々しく言うべきではないでしょう。政治も行政も環境保全を安易に考えすぎています。
(2)流水型ダムで「景観及び人と河川との豊かな触れあい活動の場の保全」(116頁)とありますが、五木村の人たちも貯水型ダムであったから、そこに水上レジャーの場をつくり、観光客を呼び込めるとの期待をもって最後に受けいれたのではないでしょうか。普段は水を貯めず、川水を流すといいますが、洪水時に1億3000万トンをフルに貯水したら、相良村から五木村の川沿いが水没します。五木村中心部の頭地地域も水没予定地になります。洪水がたまった後、どれほどの泥や砂や石や流木が残されるか、景観の悪化はふせげません。その洪水残渣物の処理にどれほどの予算が必要となるでしょう。またそのような川沿いに、人びとが「河川との豊かな触れ合い活動」ができるでしょうか。言葉の上だけでの「触れあい活動」とは、真に河川を愛し、河川を美しく次世代のつなぎたいと願う、流域住民に説明がつくでしょうか。
(3)「緑の流域治水」の基本理念が88頁にあります。その三点目には「流域関係者が守り受け継いできた地域の宝である清流球磨川を中心とした、かけがえのない球磨川流域の尊さを理解し、自然環境と共生する社会」を実現とあります。緑豊かな相良村の山あいに、巨大なコンクリート壁ができ、川底に穴をあけて、アユの生息や清流が守れると豪語する国や県の見通しを示すべきです。政治家や行政技術者の責務です。
基本理念の四点目には「球磨川とともに生きる住民の生活・文化・賑わいや、球磨川への感謝・親しみの想いを次世代にわたって繋いでいく社会」の実現を約束しています。2020年7月4日の水害以降、県や国は、住民参加による「緑の流域治水」といいながら、流域治水協議会には、流域の市町村長以外の参加を求めていませんでした。河川法16条にいう「住民参加」を無視しています。また今回の整備計画づくりの途中の意見募集でも、時間は短く、公聴会の仕組みも人口が多い人吉市や八代市でも、人口が少ない水上村などと同じ人数しかわりあてず、住民参加のアリバイづくりに徹しているように思えてなりません。
次世代にわたって繋いでいく社会の実現のために、本来の住民参画を期待しています。