Facebook 2022年4月29日 「地図から消えた村―琵琶湖源流七集落の記憶と記録」1泊二日の源流ツアーに参加。

「地図から消えた村―琵琶湖源流七集落の記憶と記録」1泊二日の源流ツアーに参加。1970年代から1995年集団離村までの30年近くにわたる吉田一郎さんの写真を元に、昨年10月から余呉町、長浜市、大津市で4回の写真展を開催。かつての住民の方たちの懐かしい再会の場に!その場面もふくめて3月下旬には写真集を編集・出版。クラウドファンディングでご協力いただいた方たちに呼びかけて、12名参加のツアーを開催。NHKの取材班も一緒にはいってくれました。4月28日。(また長いです。2000文字)
4月23日の初日は吉田一郎さんから写真をみながらの案内。参加者は滋賀県を中心に遠くは秋田県や東京からも。プロの写真家や地域おこし協力隊員だったり、民俗学の野神の研究者であったり、吉田さんの熱烈ファンだったり、ダム反対の運動家だったり、それぞれに熱い思いをもっての参加で、余呉の市民交流センターでは夜遅くまで盛り上がりました。
翌朝は曇り空でしたが、まずは7集落の最下流、小原にはいります。実はここは丹生ダムの本体建設予定地でしたが、2016年に国は正式にダム中止を決め、奇跡的に村の暮らしの中心であった湧き水(ショウズ)も遺されています。ここでかつての村人、太々野功さん(昭和10年生まれ)から村の神仏の祈りの意味や、山の自然、特に樹木の実、幹、葉、根とそれぞれの利用方法を詳しく解説下さいました。まさに自然薬の専門家、見事です。
私自身、知事時代に丹生ダムの凍結・中止を訴えてきた責任から、おずおずと「今、ダムが中止され、かつての村の姿が遺されていることをどう思われますか。今後どうしてほしいですか?」と思いきって伺いました。太々野功さんは「遺されたことはうれしいが、荒れ果てた感じで、モラルのない水の使い方などされるのはつらい。美しく手入れをして遺していってほしい」と言葉をしぼりだしてくださいました。もっともです。政治としての責任を果たしたいです。今回の源流ツアーでは、ダムに沈まなかった村の再生の方向を皆で考えていこうという意味もあります。
村の皆さんの心のよりどころであった春日神社の昔の写真をもって、今の姿を求めて、吉田さんがかつての記憶を頼りに集落をのぼっていきました。途中「疱瘡の神」さんであった巨樹は、上は切られていましたが、幹の元だけは残っていました。しかし肝心の春日神社はかつての石垣の痕跡すらみえず、かなり徹底して破壊されてしまったようです。神社の境内にはユキツバキ(?ユキバタツバキという説も)、の幹は残されていました。人為は破壊されつくしても自然の再生力は強いです。
小原集落では、「高時川源流の森と文化を継承する会」が5月14日に計画しているトチノキ巨木エコツアーに備えて、登山道整備を行ってくれていました。「美しく手入れをして遺していってほしい」という太々野功さんの思いに寄り添った活動です。ありがとうございます。
次の田戸の集落ではかつての今井巳一さんの自宅跡に遺された桜の樹を確認し、鷲見に向かいました。鷲見の中心の橋はそのまま残っていますが、集落の中心を流れていた鷲見川に沿ってかつての橋や洗い場を探しました。写真集の表紙になっている記念写真を写した橋は、かすかに鉄の渡しとパイプが遺されていますが、樹木に覆われていて、今は渡ることはできません。谷口長三さんの洗い場や山口はるのさんの洗い場も探しました。川の流れでかつての足場となっていた石が流されていて、石垣の形からかろうじて、「ここかな?」と推測できる程度しか残っていません。1995年の離村から27年、樹木の繁茂力はすごいです。
鷲見集落でも、かつての「八幡神社」の姿を探すのがメインテーマでした。昔の写真をもとに吉田さんの案内で家屋配置図を頼りに上がっていきました。散乱する石や神社のお参りの約束事を書いた看板の端切れは発見できましたが、15-16段あった石段や周囲の石積みは全くみあたりません。皆で探しまわりましたが、かつて伐採されたという樹木の幹が苔むしている姿から、27年の年月でこれほどの崩壊が進むのかショックでした。小原と同様、鷲見の神社も徹底して破壊されてしまったようです。
その後、尾羽梨を経て針川まで上流にあがりました。針川集落跡にはプロパンガスボンベが朽ちていました。山の薪や炭からプロパンガスにかわり、その燃料革命が離村を促しました。象徴的遺物です。
北側斜面にはまだ雪が残っていましたが、道路沿いのユキツバキの群落は見事です。元大阪市立大学の立花さんの資料によると、高時川沿いは「ユキバタツバキ」で、山ひとつこえた椿坂や中河内ではユキツバキと記述があります。ユキツバキの分布は、北は秋田県から始まり、この高時川沿いが分布の南限です。
吉田一郎さんは、NHKのインタビューで、「地域の暮らしの記憶を記録にして遺したことはよかったが、今後この地域をどう再生していくのか、意見を言っていきたい。ユキツバキの美しい姿から“ユキツバキの里”として再生できたらいいな」とおっしゃっておられました。
宿泊とごちそうの夕食、早朝からの食事、そしてお弁当まで準備いただいた「ウッディパル余呉」の前川支配人さまはじめ、地元の皆さまにお世話になりました。感謝申し上げます。
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