Facebook 2022年3月27日 「長良川河口堰の現在の課題と最適運用について」の講演会

3月7日の長良川河口堰の見学をもとに3月26日、「長良川河口堰の現在の課題と最適運用について」の講演会で、「流域治水への歴史的転換とこれからの課題―長良川河口堰の現在の課題と最適運用にむけて」として講演をさせていただきました。そのあと愛知県顧問の小島敏郎さんをコーディネーターに、伊藤達也さん(法政大学)、蔵治光一郎さん(東京大学)、新村安雄さん(環境コンサルタント)、向井貴彦さん(岐阜大学)、武藤仁さん(長良川自民学習会事務局長)の皆さんと「治水」「高潮・津波」「利水」「環境」「世界の事例」としてあつい議論が盛り上がりました。全体司会を原田さとみさんが担当下さいました。3月26日。(また長いです、すみません、2400文字です)。
討論会の中では、3月25日の設楽ダム裁判や同日の有明海の諫早裁判で、原告住民の意見が採用されなかったことの背景には「日本は三権分立になっていない、裁判所は行政方針に沿って判断する」という法務関係の人事制度が国家の仕組みに埋め込まれていることを解説させていただきました。会場だけでなく、オンライン参加の皆さんからも前向きの質問をいただきました。
まず私の方からは、治水政策は、一国の法制度だけでなく人類としての洪水や大水との対応の文明史や水との付き合いの価値観・自然観からみる必要があることを示し、①洪水折り込み型で洪水共生政策と、②技術や施設で洪水を河川に閉じ込める洪水制御型の二つの価値観・自然観があることを示しました。
日本は古代から洪水共生型で、森林を保全し、堤防だけに依存せず、土地利用や建物の工夫、あるいは洪水を逃がす霞堤防や輪中堤防、河辺林や共同体による水防組織など洪水共生型仕組みが主流であったが、明治以降の近代化の中で、高い連続堤防やダムで洪水閉じ込め型の政策に変わってきたこと。ヨーロッパでは過去20-30年間に、洪水制御型から共生型に次第に戻りつつあることを示しました。
そして近代化の中で水道水源をダムに依存する度合いが増えて、治水ダムはすべて税金だが、利水ダム費用は水道利用者、つまり住民であるので、国としてはできるだけ住民負担を増やして利水需要を大きく見積もり、治水負担を減らす方式を採用してきました。それが昭和30年代以降の多目的ダムの全国展開です。長良川河口堰は、工業用水はゼロ、水道用水も3割しか利用しておらず、しかもこれも渇水時の代替水源は可能です。これは後のディスカッションでも皆さんがデータを示してくださいました。
長良川河口堰の治水効果はそもそもなぜ河の出口に水をためて、洪水が防げるのか、ここは三つの段階があります。①川の断面積を増やす。②断面積を増やすには川を深く掘り下げる。③川を掘り下げると塩水が川中に差し込んでくるので、それを遮断するために河口堰をつくる。しかし建設時点ですでに計画していた流量は確保されていたのでそもそも治水上の必要姓はなかったということです。それ以上に、今、東南海・南海地震が想定されている中、また気候危機での予想以上の高潮や洪水では、河口堰が果たして故障・操作不能にならないのか、堤防が液状化した時にどうなるのか、全く想定も予防もされていない、ということです。
そこで、今日の講演や討論会でも、川の中に洪水を閉じ込める旧来の治水ではなく、洪水があふれても大規模破壊にならないような堤防強化や、上流の森林や水田での保水機能の強化、そして危ないところは住宅など建てない、建てるなら洪水折り込み済みの建物配慮など、湿地帯や川辺の樹林帯など、今後は「流域治水が有効」という方向に皆さんの意見がまとまりました。
今後のことを考えると毎年維持管理費だけで8-12億円が必要とされ、ゲートなどの施設更新時期は29年。つまり2024年には建て替える必要があるようです。2024年から次の30年にむけて、維持管理をして建て直す必要があるのか、今こそ議論の時でしょう。なお、「環境」項目では、建設前から懸念されていたように、河口上流域のシジミはほぼ全滅、またアサリやイカナゴの漁獲高も激減、アユも4分の1という、壊滅的な被害は明白です。
また設楽ダム問題、諫早湾干拓裁判では、日本は「三権分立」ではなく、行政の意向を反映する裁判制度が、人的組織としてつくられていることを解説させていただきました。去年4月20日の法務委員会で質問させてもらっています。昭和20年代初頭、戦後の日本の行政組織を作り出すとき、霞が関官僚組織の中に、司法試験を通った法務担当の専門官僚を育てる余裕がありませでした。
そこで「判検交流制度」という仕組みをつくり、霞ヶ関行政の官僚組織の中の法務担当官僚として「判事が検事になって」裁判官を派遣することになりました。裁判官の人事は最高裁判所の事務総局です。最高裁判所の判事任命が内閣の閣議決定ですから、与党の判断と異なる判決は反与党になり、出世できません。官僚裁判官が下す全国の裁判は原発、ダム、公害、基本的に政権与党の判断を斟酌せざるを得ないでしょう。
裁判官が、アメリカのように、人物、能力、正義感、社会的判断力など司法の専門家、キャリア本位にできないと日本の裁判、とくに行政裁判は住民が負け続けるでしょう。根が深い暗闇です。ダムも原発も、また各種行政訴訟をみると、「この国は終わっているな」と心が暗くなります。小学校の社会科教科書に「三権分立」が書かれていますが、これは単なる見せかけでしかありません。皆さん、どう思われますか?孫子に今の日本の仕組み、伝えるのはつらいです。
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