『やさしいネイチャーウオッチングー自然を守り育てる仲間づくり』(サンライズ出版)、故村上宣雄(のぶお)さんの絶筆となった渾身の書が、宣雄さんの奥さまとご子息の村上悟さん、そしてサンライズ出版の岩根治美さんなど、皆さんの協働作業で完成、出版されました。生前から、村上宣雄さんと深いお付き合いをしていた皆さんにとって待望の書です。改めて紹介させていただきます。3月16日。(また長いです、1300文字)。
湖北の手づくり情報誌『長浜みーな』に連載されていた原稿を出版準備なさっておられたということは耳にしていました。村上さんは、完成前の2020年2月に、77歳の若さで亡くなりました。その原稿を皆さんが仕上げて、出版なさいました。滋賀県の自然観察、まさに学校教育の枠を超えて地域での生き物とのつながり、その価値を広めてくださった村上宣雄さん、ありがとうございました!
村上宣雄さんは、昭和17年生まれ、昭和30年代から38年間、滋賀県内の理科の中学校教員として、滋賀県内各地での自然観察会指導者としてご活躍でした。私が村上さんとお付き合いをさせていただいた、その始まりは、1990年代初頭に琵琶湖博物館の企画を始めたころでした。今も深く印象に残るのは、まだ悟さんが中学生で、うちの次男の修平も同じくらいの年で、一緒に湖北野鳥センターで水鳥観察をさせていただいた時でした。理科専門の村上親子の存在は強烈でした。パソコン通信の悟さんのハンドルネームは「余呉鳥」でした!
1990年代に入って、琵琶湖博物館準備室で「住民参加の環境調査」で、「夏はホタル、冬は雪」という「蛍雪作戦調査」を始めました。参加者呼びかけの時、西浅井町や余呉町では村上さんが協力くださいました。また余呉湖と人びとの関わり調査もその頃させていただきました。特に、余呉湖とそのほとりの川並集落は、ひとつの村落が、湖、水路、水田から森林まで一括管理しているミニ盆地ともいえる複合生態系を有しております。集落の生態的多様性にあわせた共有地の所有観をたどるのに格好の地域でした。
そこでかなり丁寧な聴き取り調査をさせていただきました。ここで明らかにされた所有関係の基本は、樹木、小枝、魚、水草、湖底の泥、対象資源の生態的特性と空間、時間という組み合わせのなかで関係論的にきまってくる”重層的所有観”であり、「一物一権主義」という近代法の原則と大きく異なるということです。特に「だれ一人取り残さない」という原理で、村中全ての人が、木材、山菜、魚類、水草、底土、など衣食住の資源のアクセスができる、弱者救済の仕組みも入れ込まれていました。今でいうSDGsです!
また物質循環としては、余呉湖の水草や底泥を肥料として取り上げて、その栄養分取り上げは、余呉湖の水質汚濁を防ぐ貢献をしていたという計算をしました。トータルな栄養分流入の約1割を、人手で取り上げ、陸上部の水田や畑の肥料に活用されました。「環境技術」27巻4号(1998年)に、村上宣雄さんと地元の皆さんとの共著の論文を発表させていただきました。
また昨日紹介した、琵琶湖源流の吉田一郎さんの写真集の中で、「ブナ帯文化の南限」「ユキツバキの南限」という記述をしておりますが、宣雄さんの著作に「ユキツバキ」分布図が掲載されています。この元図を描かれた立花さんは、当時の琵琶湖研究所長の吉良竜夫さんの研究仲間で、琵琶湖研究所で何度かお会いしたことがあります。
また丹生ダムの見直し・中止を滋賀県知事として決意した、その元になるデータを出したのが淀川水系流域委員会です。ここには、当時まだ滋賀県立大学の大学生だった村上悟さんに参加を呼びかけました。丹生ダムの地元で育った住民という意味もありました。振り返ってみると当時の淀川水系流域委員会は「地域に詳しい委員」として学生さんから主婦まで、本当に多様な人たちが参加していました。そこから「住民主体の流域治水」が始まりました。