国会では参議院予算委員会ですが、私は無所属なので予算委員会の枠はとれません。TVで予算委員会の議論を聞きながら、琵琶湖畔の自宅で、『水と生きる地域の力―琵琶湖・太湖の比較から』という書籍の原稿書きに集中しようとしていますが、ウクライナ情勢が何とも心配です。プーチン大統領は、ウクライナ侵攻を正当化していますが、武力による一方的な他国への侵攻は、いかなる国際関係下にあっても正当化できないでしょう。あってはならない事です。特にウクライナの人びとにとってどんなにつらくて不安で悲しい事でしょう。またウクライナには原子炉が15基あり、「放射性物質の地雷」にならないか、とっても心配です。2月24日。(1300文字、長いです)
『水と生きる地域の力―琵琶湖・太湖の比較から』の書籍は実は、琵琶湖博物館の楊平学芸員との共同執筆です。琵琶湖辺の針江という集落の江戸時代から現在までの「湖岸での水の恵みと災い」をメインテーマに、「水と人と生き物との共生社会」をつくりあげてきた暮らしと生業の工夫を生活環境主義の思想から記述・分析しています。家の中に湧き水がある「カバタ」で有名な村落です。同時に、中国の長江下流部の太湖周辺でも「魚米の郷」といえる水田漁業や、米つくりと養蚕と養魚を生業複合システムとして2000年前から成立させてきた水辺の生活と生業があります。それを楊さんが記述・分析しています。
最終的に、このモノグラフをどう位置づけようか、いろいろ悩んできました。というのはそんな昔の過去の記録は時代遅れ、アナクロニズムとずっと批判されてきたからです。ただ、2020年に発行された斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』を読み、マルクスが晩年に、資本主義が進むと、人と自然の関係が破壊されると今の地球環境問題を予言していたという事を知りました。わが意を得たりと小躍りしました。
その対策のためには、ロシアやドイツの中世以来の土地や作物を共有する村落共同体の共有主義に根差した「脱成長コミュニニズム」といえる定常経済だけが、持続可能な社会を支えるという研究をマルクスが遺していることを斎藤さんが紹介しています。資本主義的成長を求める中で地球環境問題への対策はないという結論です。マルクスの遺稿には日本の村落共同体のことは言及がないようです。
そもそもマルクスが資本論を遺した1850-70年代の江戸時代末期から明治初期、日本の村落共同体研究がドイツ語になっていませんので、マルクスには知る余地もなかったでしょうが、ロシアのミール共同体も、ドイツのゲルマン共同体も、土地所有を村落内部で共有化し、その収穫物の成果は平準化して、資源の持続的利用と村落内の社会的平等を維持してきました。日本の村落共同体とも、自然とのかかわり方の原理は共通です。
モノグラフとして細部までの記述を通して、琵琶湖畔の針江も、太湖周辺の集落も、そして今、琵琶湖辺で再生しつつある魚のゆりかごのような生態系に配慮した農業生産も、定常型経済による持続可能性を維持しています。いわば斎藤幸平さんの言う「脱成長コミュニズム」といえるものです。でも成長を目標とする現代の資本主義社会とは相いれない思想であり価値観です。国会議員がこんな書籍を書いていいのか、という批判を覚悟しながら、まずは理論的に固めて、国会の立法化への繋ぎにしたいと思います。特に「水循環基本法」の改訂をこの通常国会で議論していくので、そこへの理論的バックにしたいと思います。
そして私がダム建設のような水辺のコンクリート化に懸念を示すのは、地球温暖化の防止という面からも、水害回避をコンクリート化ですすめるのではなく、山林の保全や土地利用、建物の工夫など、まさに持続的な生態系や自然との共存を目指す国土保全が重要と考えるからです。