「子どもの虐待防止オレンジリボンフォーラム~高島事件から15年 これからの世代に伝えたいこと~」に参加をしました。2006年7月に滋賀県高島市で2歳の女の子(Yちゃん)が実母と養父による虐待で亡くなる悲しい事件がありました。生きていたら18歳。この事件をきっかけに滋賀でオレンジリボン運動が始まりました。Yちゃんの死を無駄にしないために、当時の関係者の思いやこれまでの活動をこれからの世代や地域社会に伝え、今後の滋賀の子どもたちの虐待防止につながる機会とすることが狙いです。コロナ渦の元、会場は80名ほどに狭められた参加者ですが、午後1時から4時半すぎまで、大変熱い議論がかわされました。主催者の皆さん、ご苦労さまでした。2月11日。(また長いです、1500文字)
実は、私が知事選挙に当選したのが2006年7月2日、知事任期は20日から。その間の5日に虐待死がおきてしまいました。事件直後に検証委員会をたちあげ、「乳児院からの家庭復帰への状況」「地元自治体での対応」「保育所入所手続き」「家庭内での体制」「町村合併の影響」「担当者の連携」「子ども家庭相談センターの体制」など20頁に及ぶ報告書が作成され、本日改めて、当時の担当者の郷間さんから報告されました。
そのあと、Yちゃんを預かっていた社会福祉法人小鳩会理事長の山本朝美さんから、丁寧な基調講演がありました。涙ながらに当時を思いおこしながら語る山本朝美さん。「これだけ多くの関係者がいながら、だれか一人が気づいて、別の方法を示していたらYちゃんは命を失わなくてすんだ」という言葉は、関係する大人の「一人の判断」の大切さを強く示してくれています。そういえば、映画「189」では、新人の児童相談所職員の主人公一人の気づきと熱意が少女の命を救いました。
知事就任直後、この報告書を、本日も司会をしてくだった野田正人立命館大学教授からいただきました。その時、「子ども家庭相談センターの最高責任者は知事です」と言われ、改めて責任の大きさを自覚しました。その後、主に3つの政策を進めました。①滋賀県内の子ども虐待と子育てをめぐる徹底調査、②生まれる時、生まれてから自立するまでの子育て支援の拠点として横串をさす「子ども青少年局」の設置、③子育て三方よし、として「生まれた子、産んだ親、世間」の三方が幸せな子育て意識の醸成です。
具体的には子ども家庭センターの人材補強(警察官の出向配置は全国はじめてだったと理解しています)や、子育て中の母親の保育相談、専業主婦家庭の保育園利用無料クーポンの発行、父親の家事・育児参画支援、母親の子育てと仕事の両立支援のためのマザーズジョブステーション、若い人達の仕事の正規雇用化などです。
ただ、二期八年、知事、子育て支援を進めてきても、地方自治体でできなかったことが、民法の改正と女性の賃金水準の向上でした。2019年に参議院議員として国政に向かった時のマニフェストに、子どもの幸せづくりの一環として、明治民法以来の、今の時代に会っていない民法改正の条項として、「離婚後の単独親権から、父母両方が離婚後も子育てにかかわる共同養育・共同親権」や夫婦別氏制度などをあげました。
後半のシンポでは、元中央子ども家庭相談センター所長の漢正史さんと山本朝美さんと私が、野田正人さん(立命館大学特任教授)のコーディネーションで、会場からの質問に応える形で、意見交換をしました。なお、冒頭には、三日月知事もご多忙のところ、挨拶に来てくださり、来年度には、家庭相談センター(児童相談所)を補強して、県内で4ケ所目をつくることを約束くださいました。