Facebook 2017年3月12日

「琵琶湖周航の歌100周年記念事業」、ようやく記者会見で公表できました!3月10日。(長いです)。

6月24日から27日にかけての三泊四日で、100年前の小口太郎(周航の歌を作詞した三高生:現在の京大)たちの周航をたどる「なぞり周航」。1917年6月28日に今津で生まれたという記録があります。京大ボート部OB会メンバーの周航に住民が参加をして帆走する「住民参加のなぞり周航」企画。仕上げに、6月30日、加藤登紀子さん企画・出演の「第1回びわ湖音楽祭」をびわ湖ホールで開催。チケット販売は3月16日から始まります。

3年ほど前に登紀子さんと「もうすぐ琵琶湖周航100周年やね、琵琶湖をぐるっとまわる音楽祭を始めたいね」と言っていた、その音楽祭の企画がいよいよ実現できそうです。登紀子さんとは今から17年ほど前、2001年の世界湖沼会議を前に、「琵琶湖を歌う子どもたちの歌を作って下さい」と無謀なお願いをして、1年かけて琵琶湖の沖島や海津などをつれ回し案内して「生きている琵琶湖」が生まれました。

1960年代、高校時代からの登紀子さんのファンであった私、特に登紀子さんの歌と人生の向かい方に魅せられていました。また登紀子さんは私の環境学者としての理屈を学んで下さり、お互い姉妹のようなおつきあいをさせていただきました。私の知事時代も「フローティングスクール」に乗って子どもたちに琵琶湖の価値を伝えてくださったり、県政盛り上げに協力いただきました。

この企画が動きはじめた昨年8月の登紀子さんからのメッセージ、少し長いですが、ご紹介します。

―――加藤登紀子さんからのメッセージ―――

一つの歌が、一人の若者によって作られた時、100年後の今、こんなに人びとに愛される歌になっているなんて、考えていたでしょうか?

私が歌い始めた1971年、この歌はすでに現役の学生から老齢の青年まで、一緒に歌える歌でした。それこそ受け継ぎ、歌い継いだ人たちの情熱の結晶です。

それから約半世紀たった今、これから100年後も歌われていくかどうか、私たちに託されている、と思います。

私の父の祖父は滋賀県守山市の出身でした。父はその事を大変大事な家族の誇りとしていたので、さすらいを歌った「琵琶湖周航の歌」が、故郷の歌でもあるのです。

この歌の100歳をきっかけに、歌で人と時代を繋ぐ音楽の祭典を、開けたらと願っております。

滋賀県のいろんな町で、一年に一度たくさんの音楽家、歌手、アーティストに参加して頂いて、地域で活動している若い人たちと一緒に作り上げる音楽の祭典を!

この大切な琵琶湖を通して地球環境を考える、そんな場にもなっていくことでしょう。

この琵琶湖の水を飲んでいる関西一円の人たちにも、その美しさにもっと触れていただき、一緒に守っていけるきっかけになれば、との思いで一杯です。

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滋賀県庁での記者会見は全体で二時間。まずは私の方から全体計画を説明。そして前半は「第1回びわ湖音楽祭」について、登紀子さんが全体のコンセプトを紹介。第一部は地元の子どもたちが参加。第二部はプロのアーティストを招待。登紀子さんの昔からの歌い手仲間であるゴスペラーズと宮沢和史さん(THE BOOM)をゲストに招き、後半には「百万本のバラ物語」という組曲を、大津地元の「ひまわり合唱団」や「京大グリークラブ」と共演披露。

ついで、企画委員長の中谷満さんが、大津市児童合唱団や立命館守山中高吹奏学部、滋賀県高等学校軽音楽部会、大阪市成蹊女子高校学園コーラス部など、琵琶湖流域の若い人たちが参加をする第一部について紹介。「琵琶湖周航の歌」を全国に広める行脚活動をしているLefaの北川陽大さんと、大津清陵高校の村田良さんも直接参加をして下さり意気込みを語る。7月1日の「びわ湖の日」関連の「あみんちゅプロジェクト」の西川興さんからは、琵琶湖辺で子どもさんやお年寄りなど、皆で周航の歌を歌い次ぎ映像づくりをして音楽祭で発表する、まさに「足で拾う周航の歌」企画を紹介。

また記念事業には企業協賛や住民サポータを募集します。そこで配布するプレミアグッズが、「琵琶湖真珠付きびわ湖バッジ」です。企画くださったファブリカ村の北川陽子さんから紹介。

後半は「なぞり周航」。まずは京大ボート部OB会会長の吉田保さん、理事長の武田英さんから、自分たちにとっての「宝」である歌、結婚式などのうれしい時も、お葬式の悲しい時も、いつも皆で肩を組んで歌い継いできた、その歌を遺してくれた先輩への感謝をこめて、「なぞり周航」を行い、歌碑毎に歌を「奉納」することを表明。思いの深さがにじみでていました。

びわ湖上でのボート、ヨット、カヌーなど、水上スポーツを楽しむ人たちに呼びかける「住民参加のなぞり周航」の責任者は、滋賀県ボート協会会長で、ご自身も高校時代から瀬田川でボートを漕ぎ、東レでも活躍してこられた奥村功さん。オアーマンとしての決意を語って下さいました。また事務局長の柳原さんが、湖上スポーツを楽しみながら、周航の歌の生まれた風景を堪能できる企画への呼びかけを行いました。

今のところ、地元のクラブを経営している方たちから、参加申し込みが始まっています。大津市蓬莱のBSC井上良夫さん、高島市白浜のビワコマリンスポーツクラブの伊勢田稔さんから、地元として、周航に併走する人たちを募集しつつあることを表明下さいました。
また地域毎に、周航グループを歓迎する会なども催して下さるということです。

琵琶湖の自然は時として牙をむきます。安全性確保のためにも、風や波のあり様を熟知している漁師さんの参加は不可欠です。長浜市の松岡正富さんが、漁師としても喜んで参加したい、と表明下さいました。今日はおこしいただけませんでしたが、守山漁協の戸田直弘さん、海津漁協の中村清作さんたちも参加の予定です。漁師さんたちに「おいしい歓迎」をびわ湖の幸で計画していただくのもうれしい参加です。

記者さんの質問では、音楽祭のコンセプト、今後の継続性、登紀子さんと嘉田とのなれそめなど、活発な質問をいただきました。音楽祭はイメージがわきやすいが、「なぞり周航」への住民参加の企画はわかりにくかったようです。ボートやヨットなど、種目によってスピードも異なります。今回は競争ではなく、皆で琵琶湖の風景や自然を楽しみながら、ペースを合わせて回ることが目的なので、そのあたり詳しく説明しました。

最後に皆で肩を組んで合唱。lefaの北川さん、登紀子さんと肩組んで、かなり緊張気味!最後に登紀子さんが県庁記者室のバックパネルを気にいってくださり二人で記念写真。申し合わせたわけでもないのに、色が絶妙!全体進行は小坂育子さん。言葉深く進行下さいました。

今、FBページはありますが、今後HPをつくります。また大津駅近くの130年の古民家「湖民家ろんど」のシェア―スペースがありますが、ここを拠点として、皆さんへの呼びかけ活動も広げていきます。

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