Facebook 2021年12月24日 「流域治水を地域に根付かせるにはどうするか」というテーマでのミニ講演会

国会が終わってその足で22日に徳島市に飛びました。1990年代初頭から20年近くかけて、吉野川第十堰の歴史的環境と、川と人のつながりを守る運動の中心人物だった故姫野正義さんの奥様の英子さんたちから声をかけていただき、「流域治水を地域に根付かせるにはどうするか」というテーマでのミニ講演会を開催。今、日本各地で大規模水害が増えダム計画が復活しています。球磨川上流部の川辺川ダムが象徴でしょう。若い人たちが、「自分たちも流域治水を学び新たな活動をしたい」と声をかけていただきました。真夜中まで続いた熱いあつい濃密な議論の結論は「川遊びの子どもたちといっしょに、過去の水害の歴史をお年寄りから学び、自ら命を守る流域治水の仕組みをうみだそう!」「そのための楽しい覚悟を埋め込んだ活動モデルをつくろう!」という具体的な方向でした。これから国会議員として、球磨川に次いで、吉野川の皆さんとのつながりも深まりそうです。12月24日(また長いです、すみません)。
吉野川の下流部にある、江戸時代からの「第十堰」という井堰を、近代的な水位・水量管理ができる「可動堰」につくりかえようという、1000億円を超える大規模工事が提案されたのは1982年(昭和57年)でした。利水の点からみると、海からあがってくる塩水を止め淡水を活用する。治水の点からは、上流で降る大雨を予測して予め可動堰で水位をさげて、洪水を受け止め、堤防破壊を防ごうという目的です。確かに近代河川工学的な発想からみると合理的です。河川は利水と治水、人間の都合だけで水位操作ができるというのは当時の日本中の河川政策の本流でした。琵琶湖総合開発も利水と治水の都合で1972年(昭和47年)に始まりました。しかし、川には生き物も生存している。その生き物の恵みをうけとめる河川の歴史も漁業文化もある。琵琶湖総合開発では、地元住民や漁業者の意思なども反映して「環境」がはいりました。河川法も1997年(平成9年)には、「利水・治水」に「環境保全と住民意見の反映」をうたう改正がなされました。
しかし、吉野川の可動堰計画は、生き物や人びとの川とのかかわりなどには全く考慮せず、ひたすら水量管理の合理性だけをねらい巨額の公共事業を行うという計画でした。そこに、吉野川の川べりで生まれ育ち、川にアユの姿を追い、川とのつながりを原風景とする姫野雅義さんや伊勢達郎さんたちが「吉野川シンポジウム実行委員会」を1993年に結成。姫野さんたちは「反対運動」という土俵ではなく、「ふるさとの川のことを自分たちで決めよう」「楽しくやろう」という、ある意味新しい「市民運動のやり方」を提案しました。吉野川のことは住民に決めさせてというねらいで、2000年1月23日には、住民投票で可動堰建設はいらないという意思表示をしました。川の在り方を住民投票で決めるという大変画期的な出来事でした。地域に浸透し、為政者の意識まで変えたのは、「楽しくやろう」という基本哲学です。川の在り方を住民投票で決めるという大変画期的な出来事でした。
国政でも、民主党は、「公共事業のムダを止め、生活・環境重視に転換します」という方針を出します。たとえば2003年の民主党マニフェストには、「ムダづかいの象徴である川辺川ダム事業(総事業費2650億円)や吉野川可動堰計画(総事業費1040億円)など、大規模な直轄公共事業の建設や計画をストップし、真に地域振興となる事業に振替ます」とあります。私自身が、淀川水系流域委員会での議論を経て、滋賀県知事選挙に6つのダムの見直し・凍結を提案したのも、この当時の民主党政策との連動でもありました。「コンクリートから人へ」です。民主党政権が誕生して、2010年3月23日、前原誠司・国土交通相は「吉野川可動堰(ぜき)計画について(復活は)ありえない」と中止を明言しました。その後、可動堰の復活の動きはみえていませんが、地元では流域治水が今後どうなるのか、大変関心が高くなっています。
また姫野さんたちが本来求めたのは、川と人のかかわりの再生です。住民投票の後、2001年に姫野さんのアイディアでカヌーイストの野田知佑さんが中心となって「川の学校―吉野川川ガキ養成講座」を毎年開催しております。川ガキとは、川で遊び、川を楽しむ子どもたちを育てようという活動です。川で泳ぎ、魚をとり、川に飛びこみ、河原で寝転がる……。昔の川ガキがそうしていたように、自由に遊ぶ。川ガキ志願者を日本中からあつめ20回も続いています。今はコロナ渦で休んでいますが、これまでに570名もの川ガキが育っているようです。
また近年は、塩崎健太さんたちが「川と人をつなぐ川塾」をはじめており、こちらは毎月一回ずつ、「“遊び”を通じて吉野川を感じる!」「吉野川の恵みと命をいただく!!」ということで、遊びにプラスして、魚、貝、野草など季節の恵みを自分たちでとって料理をして、一年間の川つながり活動をしています。12月22日のミニ講演会の後は、塩崎さんと、新居拓也さんが中心となって、「川遊びの子どもたちといっしょに、過去の水害の歴史をお年寄りから学び、自ら命を守る流域治水の仕組みをうみだそう!」「そのための楽しい覚悟を埋め込んだ活動モデルをつくろう!」という具体的な方向が提案されました。頼もしいです。国の流域治水の計画も、ようやく防災教育やグリーンインフラがはいりはじめました。今後が楽しみです。
2,010年10月にアユ釣りの中不慮の事故で亡くなった姫野さんの活動記録をまとめた『第十堰日記』も読み返しました。すでに川が大好きな子どもたちも若者に育っています。次の世代に期待しましょう!
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