Facebook 2021年12月4日 ARS=another real style、「染め替えて 近江大事」

ARS=another real style、「染め替えて 近江大事」不思議な会合でした。滋賀県長浜市にルーツをもつ編集工学者の松岡正剛さんと三井寺長吏の福家俊彦さんのお二人が主となり、近江を「再編集」して新たな価値を創出しようという企画です。びわ湖ホールの大ホールに300名ほどが集まり、ゆったりとした空間の中で、三井寺や石山寺、琵琶湖の美しい映像とともに、刺激的な対話空間で、大いに触発されました。私は「近江を”水の恵みと災い“で編集しなおそう」と改めて振り返ってみました。12月3日。(また長いです)。
「本来から将来へ」「興 たちまちに 近江の国に耽りたり」「近江から日本が変わる」「別」「第十三番石山寺、第十四番三井寺」、松岡さんと福家さんの対話に、田中優子さん、小堀宗実さんなど県外の人に加えて、地元の中山雅文さん、川戸良幸さん、芝田冬樹さん、鷲尾龍華さんなど、多彩なメンバーが加わり、改めて近江、滋賀の魅力をもっともっと探し出したいと挑発をされる場でした。休憩とお土産には、叶匠寿庵の特性の「ギンナンもち」「石山名月」「阿加井もち」と永源寺政所の「山形漣のお茶」も楽しませていただきました。
松岡さん、福家さん、またオンライン参加の隈研吾さんに共通する問題意識は「日本の劣化・大敗北」「カタカナ用語に矮小化されたズレ」 「現代社会が生きづらくなっている」という今の日本が置かれている社会、文化への危機感とでもいうものでしょうか。だれも特に危機感という言葉は使ってはいなかったのですが・・・。そんな今の時代に求められている「言葉では語り得ないもの」「目に見えない日本らしさ」それが近江に隠されている、という発想です。
二つの方向を提起されました。ひとつは「近江から世界へ」。目に見えないものの存在 「日本文化の根っこ」を示す。もうひとつは「近江への誘い」。外から近江に来てもらって、「琵琶湖」「三井寺国宝書院」「石山寺多宝塔」「菅浦集落」「十一面観音」などにいざなう。白洲正子が協調していた「京都と違うものがある」。それがARS=another real style。歌人河野裕子は「たっぷりと真水をだきてしずもれるくらき器を近江といえり」とうたった琵琶湖から発せられていく小さな声。近江の風土は母胎のようでもあり、河野さん自身だったのかもしれない。
私は改めて今日の松岡さんと福家さんの問題提起に、平成初期になぜ琵琶湖博物館を提案したのか、振り返ってみました。400万年という古代湖の自然と生物進化の歴史、そこに人が住みついた縄文・弥生の社会・文化史、そして数十年で大きく変わった生活環境史、この三つの時代を、今、同時代の中で編集した結果が琵琶湖博物館でした。まさに見えない琵琶湖を見える化する思想的施策の結果でした。
そして今、改めて、近江の再編集をするとしたら、「水の恵みと災い」「流域社会圏」でしょうか。関東平野で生まれ育った私には、琵琶湖辺から周囲の山やまがすべて見える「近い山」の存在は感動でした。今暮らす比良浜の水田から最初の雨水の一滴を受け止める比良山頂まではほんの数キロです。ほぼ毎日山頂を眺め、山頂に降る雨雲を感じ、山から流れ出る小川が浜に届く、その流れを目の前でみています。途中での田んぼの水、集落内の洗い場の水も目の前です。
湖西の高島郡では安曇川や石田川、知内川、湖北伊香郡では塩津大川、余呉川、高塒川、そして浅井郡には草野川、姉川、そして坂田郡には天野川。米原をすぎて東に行くと犬川郡には犬上川。神崎郡は愛知川の北川、愛知川の南側は愛知郡。蒲生郡は日野川、野洲郡は野洲川、栗太郡は境川と草津川・・・古代律令制の時代から、行政的な郡の領域が、河川流域に対応していました。まさに流域社会圏。流域治水政策を提案した根っこにはこの流域社会圏の存在への気づきがありました。
近江の再編集、これからいろいろなアイディアを出し合っていけたら楽しいですね。長くなりました(微笑)。
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