Facebook 2021年11月30日 『流域治水がひらく川と人との関係―球磨川水害の経験から学ぶ』出版記念シンポジウム

『流域治水がひらく川と人との関係―球磨川水害の経験から学ぶ』出版記念シンポジウムが11月28日、熊本県人吉市内でひらかれました。緊急でしたが、会場とオンラインで合計60名の方たちが参加くださいました。ご準備いただいた実行委員の皆さま、ありがとうございました。宮本さんをのぞいて著者は全員参加くださいました。また出版で編集の労をとってくださった農文協プロダクションの田口均さんも東京からかけつけてくださいました。内容は、書籍と多くがダブっていますので、ここではくりかえしませんが、熊本県立大学特別教授の島谷幸宏さんの発表は、今回の書籍の次の展開、つまり今後の球磨川流域治水の研究とその社会的応用を詳しく紹介してくださいましたので、フォローさせていただきます。11月30日。(また長いです、2000文字)
国の研究機構である「科学技術振興事業(JST)」が募集した地域共創拠点研究で採択されたのが「流域治水を核とする復興を起点とする持続社会」というテーマで球磨川流域を中心として10年計画、最大20憶円の交付が予定される大規模研究です。全体には大きく4つの目標があります。「水害に安全・安心な地域」「豊かな環境と恵みのある暮らし」「若者が残り集う地域」「多世代共創による緑の流域治水の推進」です。
参画団体は、熊本県立大学を中心として、10大学ほどがメンバーですが、行政(国土交通省、農水省、環境省、文科省、熊本県、関連12市町村)や民間企業(肥後銀行、テレビ熊本、アジア航測、建設技術研究所、東京建設コンサルタント、リバーヴィレッジ等9社)もふくめて多様です。これだけの組織とメンバーを束ねていく代表が島谷幸宏さんで、大変大きな役割です。でも島谷さんならできる、それに島谷さんしかこのようなプロジェクトを率いることができる人はいないのでは、と私は勝手に期待しています。
島谷さんは、国土交通省での河川行政の責任者として、たとえば生物多様性に配慮した佐賀県アジメの里の創生を実現しています。また江戸時代佐賀県で、技術者として「治水の神様」とさえ言われる成富兵庫茂安(なるとみひょうごしげやす)の堤防、井関、用水路、ため池等の成り立ちを検証し、現代に活かす仕事もしております。2014年12月~2015年1月の佐賀県知事選挙に挑戦した島谷さんの応援に張り付き、佐賀県内を街宣した時、まさにそれぞれの河川や大地の成り立ちを直接解説していただき、私にとっては大変楽しい選挙街宣でした。
ちょうど11月28日のこの会合のあと、島谷さんが自らのFBで「合意形成」について、のべておられます。そこでは、「私の合意形成は、『合意が形成される』ということに重きを置き、その場面や情報を共有すること、それぞれの人が変わっていくことによって、参加者が自然と合意する姿を描いていることに気づきました」と島谷さん自身、言っておられます。そこに10名以上の方がそれぞれに島谷さんとお付き合いがある方と思いますが、下のような提案をしています。
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・対話を通じて腑に落ちるとか、純粋な合意でしょうか?
・『参加者が自然と合意する』理想的です。真の民主主義でしょう。
・それぞれが考え、空気が作られて自然と反応作用しながら(発酵して行く感じ)も、合意(醸造)されるような感じですか?であれば造語で「合意醸造」とか?
・先生のは「共鳴」です。先生が共鳴発生装置です。皆の心が通じ合って、合意を「取り付け」なくても合意してしまっている状態になるのだと思います。
・島谷先生はまさにCatalyst なんですよね。そして、それに触れた人がまた少しずつ振動して化学反応が起きてくる。または、語りスト、かもしれません。そして、主体的な内的変化が起きる、行動変容が促される。包摂型社会変革。なんかいい言葉ないかなあ。
・落とし所と言うよりは、誰も考えてもいなかった解決策を見つける創造的な行為だと思います。
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11月28日のシンポジウムの最後に、最近、島谷さんの講演を聞いたという人吉高校1年生の市花あこさんにマイクを回しました。あこさんは、突然まわされたマイクの前で戸惑いながらも、島谷さんの講演をもっともっと多くの友達に聞いてほしかった、とはっきり言ってくださいました。島谷さんもこの巨大プロジェクトは、若い人が技術的にも育ち、そして若い人が住みたくなる川と地域をつくることだと言っておられました。
かつて水害や地震など災害教育には大変後ろむきだった文部科学省も災害教育を、正規のカリキュラムにいれるようになりました。災害からの復興と、新たな街づくりに若い人たちが住民・市民として参加してくれるようなそんな研究プロジェクトに育ってほしい、と真に願います。今回の書籍のタイトル、「流域治水がひらく川と人との関係」のなかでも「ひらく」にこめられた思いはまさに次世代の主体的参画を願ってのものです。
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