「地図から消えた村の声に耳を澄ましてみませんか」、燃料革命やダム計画で離村した、琵琶湖源流部の7つの村の19070年から1995年までの25年間の記録を写真集にして出版する企画に、全国の皆さまからご支援をいただきたいとクラウドファンディングが始まりました。完成した写真集をお届けすることに加えて、リターンとして地元の焼畑の山かぶの漬物やトチノキからとれたハチミツ、また写真集が完成した来年の4月23日(土)-24日(日)には、ダムに沈まなかった村が今どうなっているのか、写真家吉田一郎さんと嘉田由紀子が、宿泊付きツアーでご案内いたします。ツアー人数は20名です。ぜひとも早めに、今すぐにでもお申し込みください。10月15日。
「琵琶湖源流部高時川」の丹生ダムは1972年に国によって計画されました。最初は京阪神の利水や治水等が目的の多目的ダムでした。1995年には水没計画地域の7集落すべてが下流に引っ越ししました。しかし、2001年に始まった淀川水系流域委員会などで数多くの現場検証や議論を経て、水需要の減少などの理由から丹生ダム建設の必要性は低いと判断し、淀川水系流域委員会は2005年には計画中止を求めました。2006年に滋賀県知事に就任した嘉田由紀子も知事選マニフェストの中で丹生ダムについては凍結・見直しを約束しました。その後、さまざまな経緯があり、2016年に国は丹生ダム中止を決めました。国が計画したダムのうち、住民の立ち退き移転後に中止になったのは初めてであるということです。(Wikipedia「丹生ダム」参考)
実は明日、10月16日から長浜市余呉町では写真展「琵琶湖源流の美と暮らしー離村7集落を追った吉田一郎氏の記録」が始まります。ここでは、燃料革命後や丹生ダム計画により離村した人びとの、山や川や多様な生物など、自然に寄り添い、神仏を身近に感じて営んできた暮らしの25年間の記録が詰まっています。ダムのための離村では、住宅はもちろん、神社や墓などもすべて立ち退かせてないといけません。想い出がつまった大地から引きはがされるその瞬間、瞬間の記録も残されています・・・。そして人びとが去って四半世紀、今は、完全に自然に呑み込まれた森と林、そして自然の川に戻っています。ここにはイヌワシやクマも生息しています。またユキツバキの南限として、貴重な生態系も残されています。
またこの写真展には、1995年までこの地域に暮らしていた人たちやその子どもさん、お孫さんたちも出かけてくださり、昔の思い出語りもしてくださる予定です。当時の小学生の同窓会も計画されています。また竹ではなくイタヤカエデという広葉樹の薄い板をつかった「小原かご」づくりの技術を継承する太々野功さんによる実演も計画されています。
まずは10月16日から24日までの写真展にお越しください。そしてそれがかなわない皆さまには、是非とも写真集作成のクラウドファンディングにご協力いただき、「ダムに沈まなかった村」の暮らしの息吹を感じていただき、今もまだ日本各地で議論となっているダム問題についての皆さんのご意見も聞かせていただけたらと思います。