10月14日、衆議院が解散され、10月19日公示、31日投開票と岸田新総理が決めました。解散は、憲法で決められた総理の専権事項ですから一国会議員がとやかく申し上げる立場ではありません。しかし、自民党総裁選挙に1ケ月もかけ、10月4日に首班指名され組閣をして、その日のうちに14日の解散を決め、31日の「政権選択」の衆議院選挙!急ぎすぎではありませんか?なんでそんなに急ぐのですか?10月14日。(また長いです、スミマセン。1600文字)
一問一答の対話が成り立つ予算委員会や各大臣が答弁する委員会を開く時間は十分あったはずです。それらも開かず、衆議院選挙に突入。大臣の名前と顔さえ一致しません。民主主義の原点である政策議論もなされないままの政権選択選挙。4年ぶりの、主権者の一票を投じる貴重な選挙です。また選挙実務を担当する市区町村の役所では、11月7日か14日を想定して、体育館など投票所や人員配置を想定したいてはずです。自治体への配慮を欠いた日程です。ここは冷静にそれぞれの政党の政策と主張を見て、選挙に臨んでいただけたらと願います。
14日午後の衆議院の解散に伴い、参議院も会期末儀式を行い終了。滋賀県に帰る前に、東京21区で立候補予定の大河原雅子さんの応援に立川駅まで伺いました!!大河原さんは、ダムや公共事業などの見直しを求める「公共事業チェック議連の会」の事務局長として、長い間ご活躍です。2年前に私自身、参議院に伺ってから、「流域治水シンポジウム」などを開くのに大きなお力をいただきました。また「ジェンダー平等」「食と命の議連」「有機農業議連」などでもご一緒させていただきました。
その大河原さんが3月下旬に立川市の自宅マンションエレベーター内で脳出血を起こし倒れました。幸い近所の方が119番通報してくれ緊急手術で一命をとりとめ、その後のリハビリで、車椅子で政治活動ができるまで回復しました。しかし、左半身に麻痺が残る中途障がい者になりました。今日の車椅子からの訴えは説得的でした。
「突然脳出血に襲われ、中途障害者となった今だからこそ、障害当事者として政治活動を続けることが私の新たな使命となった。自分自身が健康な時は、障がいについて理解があると思っていました。しかし、その理解はどこか他人事だったと正直感じています。自分自身が障がいを負って、改めてこの社会は障がいがない人を基準に作られている、障がいと共に生きることは大変なことだと実感しました。今私は私自身が訴えてきたことを当事者として受け止めなくてはならないのです。問題解決は私に課せられた使命だ」と強く訴えていました。
そして「“自己責任”という言葉で責任回避しない政治を実現することが未来の日本、子どもたちの笑顔につながると確信しています。コロナ禍の今、コロナ後を見据えて“共に生きる社会”への変革を進めて参ります」と決意を語りました。
私自身は、マイクを持たせていただき、大河原さんの国会での活動を紹介させていただき、同時に、今参議院は、れいわ新選組の舩後さん、木村さん、また立憲民主党の横沢さん、の3人が車椅子とストレッチャーで活躍中です。三人にあわせて、参議院の議場もつくりかえ、首班指名など直接投票もそれぞれができるような体制が整いました。衆議院はいまだに車椅子では直接投票できません。衆議院の物理的なバリアフリー化とともに、障害当事者が生きやすい社会の実現のためにも、東京21区から大河原さんを国会に送りだしてください、と応援させていただきました。