Facebook 2021年7月5日 「九州球磨川大水害からまる一年(その1)」

「九州球磨川大水害からまる一年(その1)」。昨年7月4日に球磨川最下流部の八代市から中流部の人吉市へと東へ進みながら線状降水帯による大水害が発生。特に人命被害は球磨川流域で50名にものぼってしまいました。命を落とされてしまった犠牲者の皆さんの無念の思いを受け止め、二度と同じような被害を出さないために、と人吉市の被災者をふくむ実行委員会が、「豪雨災害の実態解明を深めるシンポジウム」を7月3日に人吉市で開催。まずはそのシンポジウムについて紹介。昨日、熱海市での土砂災害で今も多くの方が行方不明になっています。一刻もはやい救出を祈ります。7月4日。(長いです、3000文字)
7月3日、球磨川沿いの老神神社境内新町会館には82名もの方が会場に詰め掛けて下さいました。全国各地からのオンラインでの参加者も83名と合計165名の皆さんが午後1時から5時までの長丁場の会合に参加。今回のシンポジウムの特色は二点。一点は、地元の被災者目線での実態解明です。国や県などの行政機関が本川の河床掘削や上流部でのダム建設による本流の水位低下ばかりに目をむけていて見落としている、山間部森林から流れ出る支川や、もともとの水田が都市化の中で新興住宅地となった町中水路の危険性を生活者目線から確実に実態解明。本流河川だけでなく、流域に暮らす住民・被災者だからこそ見えてきた経験実態から将来的な豪雨との向き合い方の方向を示してくれました。
もう一点は専門家からの提言です。全国の河川の洪水・水害の現場を河川工学や河川思想史の研究者として長年ライフワークとして実績を積み重ねてきた京都大学名誉教授の今本博健さん、新潟大学名誉教授の大熊孝さんが参加。お二人とも、複数回に及ぶ過酷なガン手術を乗り越えて、まさに自らの命をかけて球磨川現地に結集くださいました。真夏の極暑の中で球磨川現地に足を運び、見事な講演をしてくださいました。私自身は流域治水の提唱者として全国初の流域治水条例を2014年に滋賀県知事として制定し、今その地域政策を国政に広げたいという国会議員の立場から、住民主体の流域治水の在り方について問題提起。
第一部の住民視点からは、八代市の「豊かな球磨川をとりもどす会」のつる詳子さんが、「球磨川水害を考える」として、森林崩壊と瀬戸石ダムの影響を、見事な写真資料をもとに報告。八代市坂本地区での4名の溺死者が早朝7-8時に亡くなっていること、洪水は山から一気に斜面や支川から土砂災害として流れ込んでいること、山間部のスギ・ヒノキ植林地の皆伐やシカの獣害で一気に土砂が球磨川まで流れこんでいること。また瀬戸石ダムの上流と下流での被害の姿が全く異なること、下流部は激流で、鉄道線路や道路や、家の中でまでも破壊されつくしているが、ダムの上流部では水位は上昇したが溜り水であることを見事な写真資料で報告下。
人吉市内に拠点を置く「清流球磨川・川辺川と未来に手渡す流域郡市民の会」の黒田弘行さんは、7月4日の浸水状況を、200名を超える人吉市民から「何時何分、どの地点でどのような洪水がどの方向から流れてきたのか」という緻密な聞き取り記録に加えて2000枚を超える写真と動画を収集した結果を報告。人吉市内で命を落としてしまった20名の溺死者がいつどのような状態で命を落とさざるをえなかったのか調べた結論、「川辺川ダムをつくっても命を守ることは出来ない」という結論。八代下流部での溺死は午前8時前後、球磨村での高齢者施設千寿園では午前7-8時、人吉市内でも8時前後に溺死が発生という聞き取りをまとめた結果です。
ついで大熊孝さんが「日本人の伝統的自然観と治水のあり方」として、毎日出版文化賞や日本土木学会賞をうけた『洪水と水害をとらえなおす』の著書で披瀝されている大熊河川思想をもとに、わかりやすく論点整理。ひとつは「球磨川流域は支川が肋骨状になっているので、豪雨の時は支川からの流入で本流が一気に同時に水位が上がる」という点。つるさんや黒田さんが述べた現場からの報告を後ろ盾する論理です。河川の本線だけでなく支川の意味が強いのが球磨川流域の地形的特色という。あわせて生業に根ざす自然に活かされてきた「民衆の自然観」が自然を支配・収奪して経済成長を第一とする「国会の自然観」に変わってきた近代的河川政策から、「新たな地域の自然観」が必要と訴えています。そわかりやすい例として「洪水氾濫に生き延びるために、ライフジャケットを常備しよう」と実践を呼び掛け。唐突に見えるかもしれませんが「日常的な川とのつながり」が、「昔は舟、今はライフジャケット」という実践的な提案と言えます。
今本博健さんは「球磨川水系河川整備計画の在り方について」として、かねてから今本さんが主張をしてきた「定量治水」から「非定量治水」へと日本の河川法の根幹となる政策哲学について展開。河川整備の最大対象洪水を{基本高水}として設定し、そこまでは堤防やダムで守るけれどそれを超えた場合には「想定外」として放置してきたのがこれまでの明治以来の河川法の基本思想。そこにいかなる大洪水でも被害を最小化する、という方針が「非定量治水」であり「流域治水」だ。今回の球磨川大水害は、「基本高水」定量治水が破綻する豪雨が降ったわけで、ダムによる水位低下に依存するのではなくいかなる大洪水でも命を守る流域治水に帰るべきと主張。今本さんの発言では、「流域治水という表現は滋賀県嘉田色だったので国土交通省はいやがっていたがいよいよこの言葉を使いはじめたのは白旗をあげたことだ」と言及。真偽のほどはわかりませんが、そんな認識があることも初めてきかせていただきました。
嘉田は「球磨川大水害は住民主体の流域治水の必要性を証明した!」として講演。日本の行政は古来律令制度の時代から稲作生産を目的として水系単位でなりたってきたこと、伝統的地域共同体では水の恵みと災いはセットで「まるごと共生」が住民主体の「近い水」として実現。しかし明治河川法以降、縦割り行政下で治水政策が国や県の責任になり「遠い水」となってきたこと、河川の中に水を閉じ込めて高い堤防とダム建設による治水が主流になってきたこと、しかし結果的には、かつての水害常襲地に新興住宅地や福祉施設ができ危険が高まってしまったこと。そこから滋賀県知事選挙に挑戦をして、かつての地域共同体では「死者をださない」という方針が貫かれて「近い水」を埋め込んだ「流域治水条例」を2014年に滋賀県で条例化。今回の球磨川大水害で50名の溺死者の個別調査から、上流の森林保全から新興住宅での水路による溺死者発生など支流を含めた流域対応こそが必須であることが証明されたと講演。
最後のディスカッションは、会場の皆さん、オンラインの皆さんの貴重な質問と意見。会場では川辺川アユ漁師、田副雄一さんが、「今年は6月1日以降のアユ解禁後まだ一匹もアユが捕獲できてない」という深刻な状況を報告。河道掘削による濁流がアユの餌となるコケを発生させず、アユが成長できず死滅していることを報告。治水工事と環境保全の問題、深刻です。
オンラインでは、川辺川ダム必要という意識は、被災当事者以上に、周辺の人たちの方が強いという。「温暖化で豪雨が増えた。被災者が気の毒、やはりダムが必要」という社会的イメージでダム推進意識が深まっているようだという意見がだされました。今後の検討が必要です。
なお、今回のシンポで登壇した皆さんの発表内容を元に、この秋までに書籍としてまとめて出版する計画が進行中です。仮題で『流域治水がひらく川と人との関係』。皆さんのご意見をいただけたらうれしいです。
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