Facebook 2021年6月27日 第3回びわ湖音楽祭が6月13日に開催されました

第3回びわ湖音楽祭が、琵琶湖周航の歌誕生の地、高島市今津の高島市民会館で、6月13日に開催されました。コロナ渦の中でしたが、第一部の地元の住民参加の部と、第二部の登紀子さんの一人ステージ、そしてフィナーレは全員での琵琶湖周航の歌の合唱で幕を閉じました。チケットの購入さえはばかられる中、4席に1席だけで3席をあけ、万全の対策をしての音楽祭の開催。2週間すぎた今、感染者の報告もなく無事終了したことを感謝申し上げ、皆さまのご協力に感謝申し上げ写真つきで報告申し上げます。6月27日。
まず三日月大造滋賀県知事から、竹生島への参詣の帰路、立ち寄っていただき、琵琶湖の水神さんからの祈りの言葉をお伝えいただきました。また琵琶湖周航の歌の1番が大津、2番が近江舞子、3番が今津、そして今後4番の長浜、5番の彦根、6番の近江八幡へとつながることの期待を述べていただきました。
また上原重治高島市教育長からはマキノ東小学校の子どもたち5・6年生が、泊りがけの琵琶湖上カヤック体験をする最後の琵琶湖から学校入口の中ノ川で、下級生が歌う「生きている琵琶湖」について紹介くださいました。実は「生きている琵琶湖」はまさに、今から20年前、2001年8月、マキノ東小学校前の琵琶湖岸で、加藤登紀子さんが地元の子どもたちと触れ合う中で生まれた歌です。
第一部は、「高島ウインドアンサンブル」のオープニング・ファンファーレで開幕。実行委員長の中谷満の指揮で、芦田真一氏がびわ湖音楽祭の為に編曲した作品です。そのあと、高島ウインドアンサンブルは「明日へ吹く風」と「アフリカン ・ シンフォニー」を演奏してくれました。高島高校と安曇川高校の吹奏楽部のOB,OGにより編成された吹奏楽に、湖西中学校の子どもさんもはいった元気な演奏に会場からは大きな拍手でした。
ついで、琵琶湖にそそぐ安曇川の最源流部の朽木西小学校の3人の小学生女子による「針畑子どもばやし」。児童の数はたった3人で全員参加の太鼓演奏。山に囲まれた県内有数の豪雪地帯で、運動場の真ん中に積雪計が鎮座している小さな小学校。今は小さな流れでも、 やがて大きなびわ湖になるように、 厳しい自然環境の中で、伸び伸びとたくましく育ってゆく子どもたちの「針畑源流太鼓」の演奏は、会場全体に大きな感動を与えてくれました。
「ひまわり合唱団」は創立 24 年目を迎え、もともと民生委員制度創立 80 周年の祝典で歌う 1 回きりの合唱団だったのが一般の人達も加わりひまわり合唱団としてスタート。メンバーは60 歳後半~ 80 歳前半ですがコロナ禍にあっても完全な感染予防対策を取りながら週 1 回の練習を続け元気を保っているということです。作詞作曲、中村富美子さんの「母なるびわ湖」と、次いで「生きている琵琶湖」を披露くださいました。
ここからは加藤登紀子さんが真っ青の濃紺の衣装で登場。まず「ひまわり合唱団」と、マキノ東小学校の有志の子どもたちと「生きている琵琶湖」を合唱。練習時間が全くとれないなかでの、ぶっつけ本番の舞台に子どもたちは少しひるんでいたようですが、普段から歌いなれている歌です。カヤック体験を思いおこしながら、声を張り上げて歌ってくれました。
最後に長浜バイオ大学の校歌 「悠久の街」をうたう市民コーラスが長浜から参加してくださいました。実はバイオ大学のこの校歌は、加藤登紀子さんが作詞、作曲したものです。「空と大地がとけあう水辺、過去と未来が出逢う今」という歌詞は、まさに雄大な琵琶湖辺に学ぶ学生さんの未来への希望と願いが込められた素敵な校歌です。来年の第4回の琵琶湖音楽祭でも活躍していただきたいコーラスグループです。
第二部は登紀子さんのひとりステージ。真っ白のまさに十一面観音さんのような衣装で、歌手人生56年の歌い始めの1960年代の「ひとり寝の子守りうた」から、1980年代の革命の時代を歌いこんだ「Revolution」、そしてコロナ渦の下、人が人と触れ合うことが難しい中での「この手に抱きしめたい」など、1時間半もの舞台をギターを弾きながら歌いつづけました。最後の「愛の賛歌」と舞台いっぱいの真っ赤なバラを背景に「百万本のバラ」!
最後は恒例の琵琶湖周航の歌大合唱。今年は会場の皆さんに声をだしてもらうことができず、舞台の上だけでしたが、中谷実行委員長と私も参加し、1番から6番まで歌いました。子どもたちも、これを機会に6番まで覚えてほしいです。
来年の第4回の長浜での開催にむけて舟はこぎだしました。来年こそ、コロナ渦から解放され、会場いっぱいに周航の歌をひびかせたいですね、竹生島の弁財天さんまで聞こえるように!!
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