Facebook 2021年5月26日 「改正温暖化対策法」が参議院本会議で成立。」

国のエネルギー政策に自治体や民間企業が積極的にかかわれるようになりました。「2050年までの脱炭素社会実現」を法律に明記をした「改正温暖化対策法」が参議院本会議で成立。長い間、国が独占していたエネルギー政策ですが、国だけではやりきれない、という現実に直面しての法案でもあります。今回も歴史的な大転換の場にかかわらせていただくことができました。5月26日。
今回の法案の目玉はふたつ。ひとつは自治体が再生可能エネルギー導入目標を義務化し、地域住民と事業者が参加する地域協議会設置を自治体が支援、実効性をもたせる道筋を示せるようになりました。ふたつには、企業にとっては、エネルギー事業に参入しやすくするために、ESG(環境・社会・企業統治)の連携投資を事業所ごとに見える化する方策等を提示。自治体と民間企業がエネルギー政策に積極的に位置づけられたのは日本のエネルギー政策上、きわめて画期的です。
実は日本のエネルギー政策、特に電気事業がはじまるのは明治20年代、琵琶湖疏水による京都電力がその始まりといわれているが、民間企業としてはじまりました。その後、日本各地で、小規模ダムによる水力発電がひろがります。たとえば熊本県南部の水俣市になぜ近代的な窒素工場が立地したのか。その理由は豊富な降雨量による水力発電です。空中窒素を固定する電力技術により地元の豊富な水を活用して、明治40年代以降、窒素水俣工場が発展していきます。その後の水俣病発生についてはまた後程解説させていただきます。
民間による電力開発が一斉の国家主導にされるのが昭和になって、挙国一致の戦時体制下です。昭和14年(1939年)電力国家管理体制づくりのため「日本発送電」が設立され、全国に9配電会社をつくった。この9配電会社が戦後の地域独占体制とほぼ重なりながら、戦後から現在までの「国策民営」という日本独特の電力供給体制をつくってきた。原子力発電の推進はまさに民間企業であるので幹部の人件費の公開などはなされないまま、国策として、研究や立地地域補助金に税金投入がなされてきた。
2011年、福島原発事故に直面し、当時、滋賀県知事として地域のエネルギー供給に対して自治体としては全く無力、裸であることがわかった。まず、県としては住宅屋根の太陽光補助担当しかいない。それ以外にエネルギー政策にかかわる部局はなかった。エネルギー専門家もいない。2010年に国がだした「エネルギー基本計画」をみた。60頁ほどの計画に、自治体の役割に言及しているのはたった半ページだった。
そこで、滋賀県では、2012年に再生可能エネルギー推進部局を、環境系部局ではなく、産業振興系部局にうつし、「地域エネルギー政策室」をつくり、「原発に依存しないエネルギー政策」をすすめはじめた。再生可能エネルギー政策はそれまで県外から購入していたエネルギーを地域内でつくれる、まさに「地産地消」政策ともなる。もちろん災害時には有力な地域資源となる。2013年夏には、若手と中堅の担当者といっしょにドイツでの地域エネルギー政策の現場を視察した。地域の人材育成の必要性やエネルギーづくりは地域経済循環問題であることを実地に学んだ。
その後、滋賀県ではドイツ視察で学びを深めた職員を中心に、地域エネルギー政策が進んできた。ただ、国の壁、市町村や民間事業者との連携など、道なき道の政策だった。今回の法案改正で、少しでも具体的な成果の道筋がみえるようになることを期待したいです。
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