4月21日の「共同親権を求めるオンライン集会」での私の発言について、滋賀県に帰り、県庁の担当部局や、県内の関係者の皆さまに、配慮を欠く発言をし、ご迷惑をおかけしたことをお詫びして回りました。
「今後気をつけるように」などいろいろのご意見をいただき、今後の国会活動への応援もいただきました。5月14日―15日。
15日には長年の滋賀県政の盟友であった元県議の沢田たかこさんの告別式に参加をし、「感謝の言葉」をのべさせていただきました。まだまだお若い72歳。沢田さんのあの元気いっぱいの言葉が耳元に蘇り、涙があふれ、つらいつらいお別れでした。「感謝の言葉」、ここにあげさせていただきます。
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「政治の母」沢田たかこさんへの感謝のことば
沢田たかこさんは「魂の込められたからだ言葉」の人でした。たとえば2017年9月、台風21号で大雨がふった時「琵琶湖がふくらんで、流入河川はみんな太っている。ひどう降らなければいいけれど・・・」とFBにメッセージを残されています。
政治家としての沢田さんが最初に大津市議選に出られた1987年のその時から、大津市民として私は沢田さんを応援し続けました。当時、西大津駅前でマイクをにぎる沢田たか子さんを、女性政治家として頼もしく、教育活動にかける姿勢を尊敬していました。
そして迎えた2006年4月。滋賀県知事選挙に出馬表明した直後、沢田さんは「由紀子の勇気応援団」をつくり、県内幅広く、支援者と理解者をひろげて下さいました。私にとっては初めての選挙。街宣活動のためのマイクの持ち方から、握手の仕方から、何もかもまさに手取り足取り導いてくださいました。
おかげさまで現職をやぶる当選を果たし、その後、二期八年にわたり知事としての仕事が全うされました。それも、県議会での沢田さんが中心となった地域政党「対話の会」の皆さんの支えがあったからこそです。
議場での、まさに学校で子どもたちに語りかける、からだ言葉にみちた「沢田節」は今も私の耳に響き、脳裏に残っています。新幹線新駅やダム建設見直しなど「公共事業の見直し」政策で厳しい滋賀県議会の議場。いつも、慈愛に満ちたわかりやすい筋をとおした言葉で支えていただいた沢田たか子さん。
あの「沢田節」をもう聴くことができない・・・・なんて寂しいことでしょう。
天国では仲のよかった小坂育子さんともごいっしょでしょうね!!。沢田さん、長い間、滋賀のこどもたちのために命をかけていただいたこと、心から感謝申し上げます。やすらかにかにお眠りください。合掌
参議院議員 嘉田由紀子
写真は、選挙ポスター、沢田さん滋賀県議選でトップ当選時(2007年4月)、嘉田知事選挙応援光景(2006年)、元大津市長の山田耕三郎さん宅を一緒に訪問した時(2006年:山田耕三郎市長が1970年代につくられた保育園は福音でした)
など。