Facebook 2017年4月11日

彦根城の満開の桜を堪能!夕闇せまる彦根城のお堀には、まるで水中にもう一本の桜が咲き誇っているような幻想的な風景。ライトアップされた天守閣、屋形船が浮かび、雲間に現れる満月。花びらひとつ落ちていない、まさに満開のタイミング。こんなに素晴らしい花見は何年ぶりでしょう!言葉では伝えきれない情景を写真でお届けします。4月11日。(また長いです)。

滋賀県立大学で「地域社会とキャリア創生」の第一回目の講義を担当。講義を受けた学生さんや世話役の上田洋平さん、中島みちるさん、また県大環境科学部に新たに准教授として就任した瀧健太郎さんたちと花見を楽しみました。(写真の一部は上田さん提供です)

県大の講義では、「男女が共に働き続ける社会づくりをめざして」のテーマで、明治以降の家制度に縛られた日本の男性中心の家族制度と男尊女卑思想が、日本の雇用政策や家族政策を支配し続け、結果として女性が子育てと仕事を両立しにくい社会をつくり、また男性が子育てに参画しにくい社会をつくってしまったという歴史的・社会的・政治的背景を解説しました。

私自身がこのように考える背景はふたつあります。ひとつは、明治民法の家制度の権化のような、私の父の父、つまり祖父がもっていた思想です。昭和20年代の埼玉県の養蚕農家。「肺病になった嫁は家を出て行け」と私が生まれて直後、肺結核で苦しんでいた母の姿。病室に「畑に行け!」と包丁をもって迫る鬼のような家制度の権化の祖父。そんな母の姿を見ながら育った私自身にとっては家制度に強く支配された家父長思想は「天敵」でもあります。

「女に教育はいらない」と私が高校など上級学校へ行くのを否定したのもこの祖父でした。それでも「学校に行って、女も勉強して、自分の食いぶちは自分で稼げるようにしなさい」と養蚕や野菜づくりをして私と姉を上級学校へ送ってくれた母の教えがその後、私自身が、仕事と子育てを両立してきた原点でもあります。

明治以来の男尊女卑思想は、戦後になっても、「男は外、女は内」という男女役割分業思想にかわり、公的な仕事、貨幣支払いを伴う仕事は男性、女性は私的な領域で、貨幣支払いを伴わないシャドウワークに閉じ込めていきます。その典型が、1961年からはじまった専業主婦配偶者控除税制です。今「103万円の壁」と言われている制度です。もちろん、子育ての大切さ、その苦労を社会的に評価する減税処置は、かつては意味があったでしょう。

でも、今はその控除税制が、女性を非正規雇用に閉じ込め、半人前として扱い、女性賃金水準を低位におとしめています。そして、一家に納税者がひとり、というシングル納税者状態を固定化しています。国家として税収が増えません。社会保障の担い手も、「三号年金」制度により、配偶者優遇制度がとられ、社会保障の支え手を減らしています。この制度ができたのは1985年です。「雇用機会均等法」が1985年に出来ていますが、国家としていかに整合性のない制度をつくっていたかがわかります。

このような制度の背景には、1979年に公表された自民党の「日本型社会福祉構想」があります。ここには「女性が働くと温かい家庭が破壊される」と明記し、女性の社会参画を悪と位置付けています。それで、本当に温かい、心豊かな、主体的な子どもを産み育てる家庭が増えたでしょうか?「父親不在、母親優先の家族」で、過保護・過干渉で、子どもを知らず知らずの間にスポイルするという家族問題は生まれなかったでしょうか?

もうひとつの考える背景は、ノルウェーやスウェーデンなど北欧諸国やフランス社会です。ここでも、1960年代から70年代、少子高齢化の兆候がでました。そこで国家として問題を全面的にとりあげ、女性の政治家を増やし、男女ともが働き、ともに納税者となり、かつともに社会保障の支え手となり、同時に家庭人として、子育てに参画、楽しめるような法律・税制・雇用制度をつくってきた、その背景を説明しました。

根本は女性政治家を増やし、法制度を整え、家族政策と雇用政策を基本的には、子どもが生まれやすく育てやすい仕組みにかえてきたことです。ノルウェーでは、1975年に「国会議員の3割を女性に」という割り当て制度さえつくられています。今、日本では、国会議員の数は15%、世界的にみたら105位、先進国で最下位です。

さて、このあと滋賀県立大学の「地域社会とキャリア創生」講義では毎週月曜日の午後4時30分から6時と言うコマで、7月24日まで、男女ともに興味をもってもらえるよう、この問題は女性問題であるだけでなく、男性問題でもあることを詳しく展開してくれる予定です。

特に、北川陽子さんや中島みちるさんなど、地元で活躍する方たちが、多様な話し手を呼んで、対話的な授業が進む予定です。興味をおもちの皆さん、15週続きます。一般参加も可能ということです。のぞいてみてください。私自身は7月24日に最後の授業に参加させてもらい、「人生折れ線グラフ」を元に、対話の場に参加させてもらいます。

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