Facebook 2018年5月28日

30年ぶりのアフリカ学会、北海道大学の大会で札幌へ。「アフリカ子どもフォーラム」で、「固有種の魚はたべるためか?鑑賞するためか?ー子どもたちも巻き込んだマラウィ湖辺の人びとの生存戦略」と題して最近共同出版した書物の若い仲間の皆さんと発表。アフリカでのトイレ普及による環境保全の議論にも参加。北大のキャンパスは森の中の小川がとびきり美しかったです!5月26日・27日(また長いです:微笑)

「アフリカ探検」にあこがれて埼玉県から関西に来た学生時代、3年生の1971年、「女ひとりアフリカへ」とタンザニアに行き、そこで「コップ一杯の水の貴重さ」を学び、琵琶湖と世界各地の水研究に入った私自身。その後の子育てなどでしばらくアフリカ研究から離れていたが、1995年に琵琶湖博物館の準備途上で、アフリカマラウイ湖の総合研究を開始。古代湖である琵琶湖と世界の古代湖の比較研究のためだ。

その時、湖辺のマラウイ湖辺チェンべ村の8歳の少年、ジョン君たちが、「ムブナ(美しい魚)はおいしくないから食べない」と表現。子どもだけでなく大人も同じことを言う。この村の周囲には「マラウイ湖国立公園」が広がり、1000種ともいわれる貴重なシクリッド類の生物多様性保存のために漁業活動に規制がかかり、湖辺100メートルは漁獲が制限されている。ムブナはその漁獲制限種なのだ。

世界各地には食をめぐる文化的タブーがあるが、果たしてチェンべ村のこのタブーはここだけなのか?他の漁村や都市部で言われているのか。そこで2003年から2004年にかけて、子ども、大人含めて、都市部と湖辺部、4カ所で400人調査を行ったが、「ムブナはおいしくない」と食べることを自制しているのはチェンべ村だけだった。

単純に、「国立公園だから、保護種のムブナは食べない」と言わず、そこに「食味」という、いわば自分たちの生活習慣のように装い、結果的に漁獲規制をするのはなぜなのか?。私自身は、村人のムブナ観には、単純に外部から持ち込まれた生物多様性という論理にひれ伏したくない、という抵抗の気持ちと同時に、共同体としては、国立公園のルールを破るわけにいかない、というせめぎ合いの中で生まれてきた「抵抗しながら守る」という生活者論理が働いているのではないか、と解釈した。

この抵抗感は、逆にムブナを活用して、「食べる魚から見る魚へ」という新しいカテゴリーを主体的に生み出し、そこから観光客をよびこみ生業を生み出す「エコツーリズム」へと発展するのにそう時間はかからなかった。今、30歳に生長したジョン君たちが中心になって、若者たちが観光案内の組合を作り、湖辺の清掃活動とセットで、観光案内を生業の一種としている。

一方、アフリカの衛生問題の根本には、「便所をつくらない文化」がある。いわば野糞が日常なのだ。便所がないことの苦労はチェンベ村の女性たちから口ぐちに聞かされてきた。自分に引きつけて考えたらその苦しみはわかるだろう。便所がないので少女たちは学校へもいけないという問題さえでている。そして人の屎尿は水域に流れこみ水系伝染病の原因にもなっている。

日本は、鎌倉時代以降、1000年もの間、屎尿の栄養分を一滴たりとも無駄にせず農作物の肥料に活用し、「徹底循環型社会」(いわゆるもったいない文化)をつくりだしていた。日本の仕組みをアフリカで実現しよう、と、マラウイ湖辺のチェンベ村で私自身、便所づくり活動をしてきたが、2006年に知事になってから、この活動がとん挫してしまっている。そこに今、北大の先生たちが中心になって「価値創出の衛生管理」という研究グループを動かしはじめている。ここにも大きな期待ができる。

アフリカでは若い人口が多く、人口の半分が若者だ。これから30年後には地球規模でみてもアフリカの人口比率は大きくなる。アフリカでの子ども・若者育てはアフリカだけでなく、地球の未来も照らす希望となるだろう。

今滋賀県がすすめようとしているSDGsの中でも「1・貧困をなくそう」「2・飢餓をゼロに」「3・すべての人に健康と福祉を」「6・安全な水とトイレを世界中に」「8・働きがいも経済成長も」「14・海(湖)の豊かさを守ろう」など、数多くの目的に合致する行動が今回の学会でも議論されていました。昔からの学会仲間にも会え、お互いに「シワが増えたね!」となぐさめあう学会でした。

写真提供:清水貴夫

 

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