「球磨川水害被災者調査から(その1)」。お正月早々ですが、球磨川水害被災者調査に人吉市に伺う。2020年7月4日、江戸時代以来最悪の大水害に見舞われた球磨川流域。大鳥居の最上部まで水につかってしまった青井阿蘇神社(写真有)にまずは初詣のお参り。人吉市の「被災者の会」の皆さんと一緒に、神様に健やかな復旧・復興をお祈りさせていただく。1月2日。
実は、昨年の被災直後の7月末から、最下流の八代市坂本地区から球磨村渡地区、そして人吉市までの間で溺死した50名の皆さんの住宅を一軒づつ探し訪ね、なぜ命を落としてしまったのか、近隣の人たちなどに聴きとり調査をさせてもらってきました。渡地区では高齢者施設で14名もの方が亡くなられてしまいました。
7月4日の早朝、それぞれの方たちがなぜ人生を、溺死という苦しみのなかで終わらなければならなかったのか?住宅事情、健康・移動・認知状況、家族状況という個人の暮らしの現場に襲いかかった豪雨による浸水。どこから来た水なのか?何時にどこで!と徹底してしらべました。
10月6日に、国の検証委員会が、川辺川ダムができていたら浸水は6割防げていたと公表しました。ただ、溺死者が何人へらせたか?という公表はしていない。そもそも国も県も「溺死者50名」という数字だけで、それぞれの溺死要因を調査をしていないようだ。そこで地元の被災者の人たち自身も、7月4日の水の出方を、浸水発生時間、水の流れてきた方向、水位があがってきた速度などを聞き取りし、アンケートをとりはじめた。年末までに100名以上の証言を集めた。
一人ひとりが別々の事情をかかえていた。お一人ずつの状況に涙し、ご冥福をお祈りしながら、辛いつらいききとりだった。死者は単に数字ではない。まさにお一人ずつの人生が、ご家族の思いと無念がつまっている。命は抽象ではない、数字でもない。
「水害から命を守る」という、その政策を現実に実現するためには、犠牲になってしまった皆さんがなぜ溺死してしまったのか、事実を正確に再現して、二度と同じような被害者の悲しみを繰り返してはいけないという政策責任者としての自覚のもとに、聴きとりをさせていただいた。そして本当にダムで、被害を6割へらせるのか?
7月、10月、12月と三回に分けた聞き取り調査の中間報告を「何が生死をわけたのか?」という80ページに亘る重たい報告書を、地元の「被災者の会」の皆さんといっしょにまとめました。その現在のところの結論は、(その2)で報告させていただきます。