Facebook 2020年12月15日 「梅棹忠夫生態100年記念連続講座」で講演をさせていただきました 

「梅棹忠夫生態100年記念連続講座」で講演をさせていただきました(12月12日)。国立民族学博物館の創始者で『文明の生態史観』『知的生産の技術』」など日本の文化研究をけん引してきた「知の巨人」ともいわれる学者。京都北白川のご自宅を開放して、ご次男の梅棹マヤオさんが主催する「ロンドクレアント」と京都人類学研究会(近衛ロンド)が主催。第一回の講演会にお呼びいただき、我が人生の師である梅棹さんが蒔いてくれた琵琶湖研究所や琵琶湖博物館とのつながりなどを語らせていただきました。長文です(2000文字)。12月15日。
私自身は、1960年代、埼玉県での高校時代、梅棹さんの『サバンナの記録』を読んで、電気もガスも水道もない、人類発祥のアフリカで、女性や子どもがいかに活き活き暮らしているかを知り、アフリカ探検への思いを深めた。というのも、眼の前の日本社会での女性差別や機械文明への疑問を感じていた高校時代、人類学という学問に魅かれ、梅棹学への出会いからアフリカを目指す。1ドル360円の時代、女ひとりアフリカへ行くにはどうするか?京大探検部を目指すしかないと決める。1969年のこと。
大学入学したが、残念ながら当時探検部は「女人禁制」。その中を押し入り、東一条の人文研分館の梅棹研に。入学したての学生に梅棹さんは「毎週月曜日の午後、比較文明の研究会というのがあるのでそこに参加したらどうか」と誘ってくれた。同時に毎週水曜日の近衛ロンド(京都人類学研究会)も知る。今西錦司さんや桑原武夫さんなど大御所の研究会に入学したての女子学生をさそってくださる気やすさ。「先生」よばわりせず誰もが「さん」づけ。これが地位や年齢を超えた触れ合いの条件だった。今、国会でも「さん呼び」を徹底している、その起源は梅棹さんです。
アフリカへは米山俊直さんや和崎洋一さんから助けていただき、1971年、タンザニアのマンゴーラ村で住みこみ調査。そこで「コップ一杯の水の価値」「お皿一皿の食べ物の価値」を知り、当時問題になりはじめた地球環境問題の中での水問題に気付きを得た。その問題意識が1973年からのアメリカ留学へつながる。
梅棹さんの滋賀県とのつながりは深い。もともと梅棹さんの先祖は琵琶湖の北部、今は長浜市の菅浦出身。そこで滋賀県の県政にいろいろアドバイスをしてこられた。武村正義知事が琵琶湖問題に直面していた1980年代初頭、「文理連携の総合的な琵琶湖学を」とアドバイスをして琵琶湖研究所が設立されることになり、そこで人類学・社会学の研究員として採用されたのが私の研究者としての出発点だった。1981年のこと。
1970年万博の後、国立民族学博物館が開館、博物館学を展開していた梅棹さんの研究に、「博情報館」という考えがあった。貴重な文物というより日常的な暮らしの事物をあつめ、その関係性を表現する、という新しい博物館だ。琵琶湖研究所で、人びとに琵琶湖の価値を伝えるにはどうしたらいいかいろいろ悩みながら、梅棹博物館学から、琵琶湖博物館のヒントを得た。琵琶湖はモノではない、まさに自然と人間の関係性の総体として、そこに存在する。その魅力や価値を博物館として表現しようという発想だ。1985年の琵琶湖研究所委員の時に琵琶湖博物館を提案。10年近くの準備期間を経て1996年に開館。今年全体リニューアルしてグランドオープンした琵琶湖博物館の「隠れた産みの親」は梅棹さんです。
2006年、私が滋賀県知事選挙に挑戦した時、梅棹さんがどう思っていたのか、今日、はじめて証言がえられました。梅棹さんのロングインタビューから『梅棹忠夫』という書物をまとめ、今回の連続講座の主催者でもある藍野裕之さんがこう紹介してくれた。
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かだゆきちゃんってのがいてな。ホントに京大探検部の紅一点だ。マドンナだ。それがなえぇ学者になってな。ホントにえぇ仕事しとるんや。せやけどな。選挙に出るって言っとる。どうやらそれを探検部の奴らが応援団を作っとるらしい。こらどうかと私は思う。でも、ホントに心配なんや。学者のままでいたらええのに。政治家なんかならん方がえぇ!
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そこで、天国の梅棹さんに報告しました。「政治の世界で学問の成果を活かさせていただきました。HOWという行政手続きに、WHYという理屈、論理を埋め込むことで社会を変えることができます」と。
100年前の1920年(大正9年)、ちょうど我が両親も同じ年齢です。スペイン風邪がはやり日本が近代化にうごきはじめた、その過去100年を振り返り、これからの100年をどう日本や世界の人びとが生き延びていくのか。私にとって学問の師である梅棹さんと、人生の師である我が実の母。「人類の未来学」をライフワークとしておられた梅棹学から、今の新型コロナ感染症、地球環境問題の時代をどう生き抜いていくのか、これからの100年について、この講座で連続して語っていただけたら、と思います。
最後に、探検部の大先輩の吉村元男さん。梅棹邸の中庭を学生時代に設計、今もその庭が残ります。私の発表に対して
「空間学の観念が弱いのが気になる」というコメントをいただきました。確かに琵琶湖学に欠けている視点です。また探検部後輩の栗本英世さんからは、「最近河川歩きをしているがコンクリート化して子どもの姿もみえないことは大問題ではないか」と。「よい子は川で遊ばない」という看板を「よい子は川で遊ぼう!」にしましょう!と。同時に「看板に従わず、悪い子になろう!」とも。
(長文のおつきあいに感謝です)
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