「橋板」は湖と暮らしをつなぐかけ橋、その橋板設置お披露目式「橋板びらき」を、大津市南比良の琵琶湖畔で開催しました。実は40年前の今日、1977年(昭和52年)5月27日、琵琶湖に大量の赤潮が発生し、その後の石けん運動や石けん条例につながった象徴的な日です。その記念すべき日に、こうして琵琶湖の水と人を再びつなぐ琵琶湖ならではの生活文化の再生の一歩を踏み出せたことをうれしく思います。5月27日(また長いです:微笑)。
湖岸の岸から沖にむけて張り出した一枚の板を「橋板」と呼びます。水道が入るまで、湖岸に暮らす人びとにとってはなくてはならない必需品でした。早朝の水汲みから、洗濯・野菜洗い、夕方の風呂水汲みまで。決して汚れ物は洗ってはいけないという約束事が、結果として飲める水の清浄さを保ってきました。また「橋板」は子どもたちの遊び場でもあり、小魚にとっては格好の隠れ場でもありました。
しかし、近代化の中で水道が入り、いつしか「橋板」は忘れられていました。そんな中、琵琶湖は「祈りと暮らしの水遺産」として文化庁から指定され、中でも湖水を暮らしに近づける「橋板」は文化財的な意味ももつようになりました。今の子どもたちにとっては、水と近い暮らしぶりを学び・経験する場としても、さらに万一の災害時の水利用の場としても重要な意味をもちます。そこで、次世代に「橋板」文化を受け継ぎ、環境学習や防災学習の場とするため、「橋板文化」の再生を行う運動を進めてきました。
2015年の8月に、「大津市北部橋板文化を再生する会」を結成して、滋賀県知事からの河川法での占用許可を得るべく、大津市を通じて10回近くの協議の場をもってきました。そして今年2017年の3月にようやく知事許可をいただきました。この間細部まで根気よくつめていただいた大津市、滋賀県の行政関係の皆さんに感謝します。一方で、実際の橋板づくりには、地元南比良の山に入り、又木を探し、中村利男さんの山の杉の木を切り、半年がかりで、乾燥・製材、そして叉木の組み立てをして5月13日にようやく完成しました。
今日は、地元南比良・北比良の住民の方、地元の木戸小学校、小松小学校の先生方、高島市の海津地区住民など、橋板のある地域の皆さんも集まり、80名ほどでにぎやかな設置式となりました。
まずは地元の神主さんに「安全祈願祭」を施行いただき、その後、大津市の中野博之総合政策部長さまからの来賓挨拶などで幕をあけました。三浦美香さんたちがつくった比良ぺリラの紫蘇ジュースで乾杯。私のほうから、橋板設置までの経過を説明。
その後、地元のシンガー・ソングライターの関島秀樹さんがオリジナルの「橋板のねがい」をいう歌をつくり、披露してくださいました。動画で紹介します。心にしみる歌です。歌詞は次のメッセージで紹介します。近いうちに琵琶湖周航の歌といっしょに、関島さんがCD化して下さいます。
次に「懐かしい未来をびわ湖の浜辺に!」をテーマに「橋板談義」。大津市和邇浜から安孫子平次さん、南比良から中村利男さん、濱口喜三良さん、高島市海津から小多明さん、左嵜謙祐さん、滋賀県立大学の上田洋平さん、皆さんが子ども時代の橋板の思い出を語り、「過去を育て、未来をつくり」無事であること「ブジネス」の社会づくり(上田さん)に、橋板文化のようなテーマの意味がある、ということを語りあいました。
また地元志賀・比良地区で、ヨーロッパやアメリカなど海外からのお客さまを案内しておられる Tour du lac の皆さんからも、この地域の当たり前の農業や水辺の暮らしがいかに驚きをもってみられるか、特に昔から変わりなく続いていることに海外の皆さんから感嘆の声があがる、という紹介をしていただきました。水を大切にする日本ならではの水文化を、ここ琵琶湖畔から世界に発信できる、自信をもってこの地に住み続ける、そんな思いを共有できる場になったと思います。
「大津市北部橋板文化を再生する会」は、これからも橋板文化の守りをしながら、地域の生活文化の発信拠点づくりもすすめてまいります。皆さんが関心を持ち続けていただけることに感謝です。