Facebook 2020年11月2日 科学と学問の価値を軽視する日本の未来を憂う

科学と学問の価値を軽視する日本の未来を憂う。滋賀県では研究や学問の自由を1980年代から現在まで最大限担保しています。国は自治体の懐の深さと覚悟を見習ってほしい。このような研究の自由を担保してきたのは、1980年代に滋賀県知事として、琵琶湖研究所をつくり、支えてくれた武村知事の姿勢に起源がある。最近出版された『たたかう自治―知事・武村正義物語』にその一端が示されていますので紹介させていただきます。11月2日。(また長いです、1200文字)。

日本学術会議の会員候補6名が菅総理から任命拒否され、国会を中心に大きな議論になっている。参議院本会議で立憲民主党の福山幹事長は1949年の発会式において当時の吉田茂総理が、学術会議は「時々の政治的便宜のための制約を受けることのないよう高度の自主性が与えられている」と述べた事を引用し問題提起。他の議員も何度も質問したが、その都度「総合的・俯瞰的な視野からバランスの取れた人材を任命した」と総理は繰り返す。

もともと学術会議は戦争中に科学者が戦争協力したことを強く反省し、日本の平和的復興に貢献するために設立。中曽根政権時にも「政府が任命するのは形式的」と独立性を強調している。

学問や研究の自由が必要な理由。それは自然科学に限らず人文社会科学であっても、自然界の仕組みや社会の成り立ちの真理を追及することが、結果的に科学の発展や社会の改善に役立つからだ。政治的意思で真理追及が曲げられては学問研究の意味がない。

私自身、学問の世界に身をおきながら、1980年代から県の研究機関に所属する研究者として学問的真理を追究し、地域のお役にたてるよう心を砕いてきた。琵琶湖研究所や琵琶湖博物館では、それぞれ準備室時代から大きな議論を経て、研究の自由を担保するため、研究発表などは「許可」「決裁」ではなく「届」とした。

時として私自身も県政の批判もしたが、当時から滋賀県当局は研究の自由を担保してくれた。もちろん自分が知事の時代にも学問の自由は最大尊重した。今も、琵琶湖研究所の後継組織である「琵琶湖環境科学研究センター」では「届」制度が継承されている。

学術会議問題は、最近の日本政府が科学や学問を軽視する氷山の一角でしかない。2000年頃から、法人化した国立大学の運営費交付金は毎年100億円ほどカットされ続け、若い研究者の身分は不安定化。大学は資金不足に苦労をしている。5年毎に職を失う「任期付き研究者」ばかりで科学論文の数は減り、国際的に遅れをとっている。

研究者の一部が中国の研究に協力をしていると批判している論調もあるが、日本の国の学問軽視の結果、研究費や人件費も削られ、ノーベル賞受賞者の本庶佑京大名誉教授が警鐘をならしているように、近い将来日本からはノーベル賞級の研究はますます減り、中国にとってかわられてしまうだろう。

人財こそ日本の宝。政府は科学や学問の価値を、大局観をもって受け入れるべきだ。同時に学者は自分の研究が社会的にどのような意味や意義があるのか、反省する機会も必要だろう。学術会議問題はそのような大局観から議論してほしい。

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