徳島県に「日本熊森協会徳島県支部」が発足。「ダムと防災―奥山、里山、人里の役割」というテーマで藤田恵元木頭村長といっしょに記念講演。70名もの方が、徳島だけでなく高知県、愛媛県、香川県から集まって下さいました。九州ではすでにツキノワグマは絶滅してしまい、四国には剣山周辺に約20頭が生息するだけという。四国のツキノワグマは今、絶滅の危機に瀕しています。四国はもちろん全国からの応援をお願いします。11月14日。(1700文字、長いです)
今、日本各地でクマが人里にでてきて、被害もでています。被害を受けた皆さんにはお見舞い申し上げます。ただ、クマには責任はありません。人間が暮らすはるか前から、この日本列島では、本州や四国・九州にはツキノワグマ、北海道にはヒグマが住んでいました。人間が彼らのエサである実のなる広葉樹を「拡大造林」政策として針葉樹林にかえ、彼らの食と家族、命を脅かしているのです。
熊森協会では、かつてドングリの実を山に運ぶ運動をし、生態学者やマスコミなどから批判も受けてきました。しかし、「現象後追い」だけで原因究明や根本対策をしない研究者や行政と対抗しながらも、自ら民間団体として、「根本的解決法」を提案し、そこにむけて地道な活動をつづけています。それが奥山の広葉樹林保全運動です。
講演会では、なぜ熊森協会が始まったのか、紹介。1992年、兵庫県尼崎市内の中学生がツキノワグマの殺戮場面をニュースで知り、担任の森山まり子教員の支援を得て、その保護を当時の貝原兵庫県知事に訴えます。1997年には森山まり子さんを会長に日本熊森協会を設立。今全国に20支部、2万人の会員に広がりました。2年前には「クマを殺さないで!」と訴えた中学生だった室谷悠子さんが会長に就任。室谷さんは実効性ある活動は自分が弁護士になるしかない、と自ら挑戦した「覚悟の人」です。森山会長が会場にお越しだったのでお話いただきました。
私の講演の趣旨は3点。まず、滋賀県知事時代の2008年頃より、香港などのマンション建設の内装材需要が高まり、琵琶湖源流の森でトチノキ等の巨木伐採が始まったこと。大変な森林破壊に直面して、地元のトチノキ所有者や研究者、自然保護団体が、奥山の巨木保全を知事に訴えていただき、滋賀県として巨木保全の予算化と条例化をすすめてきたこと。
しかし2018年には琵琶湖源流の湖北長浜のトチノキ巨木林が再び伐採の危機に瀕し、そこでの所有権争いがおき、大津地裁、大阪高裁での裁判を経て和解に持ち込まれました。しかし和解には1400万円の巨額の資金が必要となり、熊森の皆さんが中心となって寄付が実現、湖北の巨木が守れたことを報告しました。実は、和解弁護士の室谷悠子さんが1992年に「クマの命を助けて」と声をあげた中学生でした。
二点目は、「ダムと防災」の講演です。2006年に滋賀県知事に挑戦した理由のひとつがダムに頼らない「地域密着型流域治水政策」で、8年かけて2014年に全国初めての流域治水推進条例を制定したこと。その経験をもとに、今、この7月に熊本県球磨川で50名もが溺死してしまった、その50人すべてについて「何が生死を分けたのか?」という調査を行っていること。その結果、球磨川流域上流に計画されている川辺川ダムが完成していたとしても、溺死者はゼロにはできないことがわかりました。
大事なのは、①川沿いの平屋のような縦方向に逃げられない建物をへらし「とどめる」こと、②二階建でも一階で溺死した高齢者がおり、逃げるための避難体制、「そなえる」こと、③日常的に川で遊び、川と親しみ、川への愛情を育て「親しむ」ことなどの多重防護が洪水からの命を守る仕組みであることを伝えました。
三点目は、上のような「多重防護」の仕組みはすでにこの吉野川流域には、何千年、何百年もの間、吉野川との付き合いの中で工夫されながら仕組みが育ち、今につながっていること、まさに「流域治水」の先駆者であることをお伝えしました。吉野川の先駆的流域治水がどこまですっごいのか、石井町の藍問屋、田中家の例などで、次に紹介させていただきます。(写真協力:重稜加さん)
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