「熊本日日新聞」では、熊本県内の死者65名の年齢、性別、名前、居住地死因、発見場所が公表されています(7月18日、写真1)。2018年7月西日本豪雨時に51名の死者がでた倉敷市真備町では「個人情報」といわれて、いくらお願いしても公表されませんでした。それゆえ一人ずつの死亡背景が調べられませんでした。今回、熊日ではあえて匿名にせず、ひとりずつの溺死状況などをくわしく報告し、社会面には連日、亡くなった人たちのありし日の姿が写真入りで丁寧に紹介されています(写真2)。
熊日関係者に伺うと、死者に敬意を表すためで、遺族も合意してくれているということです。災害や事故と個人情報のかかわり、奥が深い問題です。2016年7月の相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」の19名の殺傷事件では被害者の名前は全くあかされませんでした。被害者がなぜ命を失ってしまったのか、今後の再発防止のためにも、熊日新聞の情報はありがたいです。今後ひとりずつの状況などをくわしく調べることが可能です。
今回の熊本県内65名のうち、水死が53名で死因としては最も多く、82%を占めます。球磨村25人の死者のうち24名、人吉市20名のうち全員が水死です。また八代市坂本地区の4名も全員水死。いずれも球磨川沿いです。この中でもっともまとまって亡くなったのが、球磨村渡地区の高齢者施設千寿園で、14人が亡くなってしまいました。寝たきりの人たちを車いすで二階に避難させようとして、50人のうち14人をあげきれなかったということです(写真3、NHK TV画面)。
千寿園は隣に渡小学校があり、子どもたちの声が日々聞こえ、高齢者にとっては和やかな場所だったことが想像されますが、床は泥にまみれ、壁には七夕飾りが残されていました(写真4)。個室は小川に面して日当たりもよく、快適そうです(写真5)。床に残されたスプーンからは日々の楽しみの食事が想像され、涙を誘います(写真6)。千寿園から下流部の家の横には「洪水痕跡」(昭和48年8月5日、建設省)が電信柱にありますが(写真7)、痕跡よりはるか2メートルほど上の電柱に流れゴミがかかり(写真8)、二階家の屋根まで到達しています。
そのあい向かいのYさんのお宅では、母娘ふたりで一階に寝ていて、水が来たので二階ににげたけれど、二階まで水が来て、お嬢さんは窓から外に出て、流れてきたトタン板につかまって屋根の上にあがれたけれど、お母さまは家の中で溺死してしまった、ということです。つらいお話を聞かせていただきました。(つる詳子さんの7月28日のFB記事にあります)(写真9、つるさん提供)。
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