「我は湖の子♪さすーらいの♪旅にしーあればしみじみと♪」・・・100年前の1917年6月末に琵琶湖周航の歌を生み出してくれた小口太郎・吉田千秋に感謝の「なぞり周航」開始!早朝5時、大津市唐橋の京大艇庫を出発。6時すぎに浜大津近くの琵琶湖疏水入口で出発式、その後坂本、真野、蓬莱と乗り継いで13時初日の宿泊所の近江舞子到着。地元の小松学区自治連合会の皆さんから「熱烈歓迎」を受け、まずは初日、事故なく無事予定通り到着。6月24日。見どころをいくつか紹介(また長いです:微笑)。
1 、琵琶湖疏水入口の大正元年建設の旧三高艇庫横の歌碑前で周航の歌合唱。近所の方も出てくださり、約100名参加。赤い三高の旗をもった常田さん(三高最後の卒業生)が旗振りをして本格的な出発式。越直美大津市長も応援にかけつけてくれる。朝日が美しく見事な滑り出し。京大周航艇3艇、伴走艇2艇に乗り込んだのは立命館大OB,大津市議スポーツ議員団、瀬田工高OB,東レ艇友会。大津漁協、海津漁協、守山漁協はそれぞれ独自の救助艇・撮影艇を準備して併走。柳ケ崎セーリング協会は奥村本部長が乗り込んで指令艇として全行程を先導。
2 、坂本でクル―交代。ここからは、滋賀県ドラゴンボートクラブ、池の里LAKERS等のグループが参加。ドラゴンボートの速度は見事、太鼓の音が元気を誘い、周航艇と十分互角に走る。比叡山から坂本の山が美しい。浮御堂、琵琶湖大橋の下をくぐり北湖へ入る。(この部分の写真2枚は青野正治さんから借用)。
3 、琵琶湖大橋の北、真野でクル―交代。大津市役所ボート部やびわこローイングクラブが参加。このあたりから報道用のヘリコプターが頭上を飛び回る。琵琶湖大橋をバックにベストアングルを狙っているらしい。水面すれすれに降りて周航艇をねらう場面にはヒヤヒヤモノ!
4 、途中「アユ沖すくい網」を操業する堅田の漁師さんが、守山漁師の戸田直弘さんの船に近づき、「最近元気か!」と声を掛け合っている。吉田保京大ボート部OB会会長がいみじくも言っていました。「かつては漁師さんから“邪魔だ”とよく怒られた周航だけど、今回は漁師さんがサポートしてくれる。それが驚きだ!」と。高島・海津漁師の中村清作さんもVサインで参加!「琵琶湖を人と人の縁をつなぐ場所に!」と今回「住民参加のなぞり周航」を企画したひとつのプロセスがみえた感じです。
5 、蓬莱のBSCに近づくと子どもたちがカヤックをこいで迎えてくれる。BSCの井上社長父子さんが出迎えてくれる。水で戯れる子どもたちと記念撮影。BSCを出てびわ湖バレイ沖を走る。蓬莱山というまさに仏がすまう山並の下、湖面は鏡のように凪いで水に写り「浄土」ともいえる風情を醸し出す。「瑠璃の花園」の歌詞を彷彿とさせる。
6 、青柳浜を過ぎると次第にびわこ成蹊スポーツ大学の建物も見えてくる。7月15日に竣工式を行う予定のガラス張りの中央棟もよく見える。我が家のオレンジ色の屋根も見える。ただ、毎朝水を飲む「橋板」は見えない。ミクロの生活風景は目に入らないことを確認した。びわスポ大の中野友博教授が率いる野外スポーツの生徒さんたちが30名ほど、カヤックで迎えてくれる。長い時間待たせてごめん!ヘリがまた頭上を旋回する。
7 、予定の時間よりも1時間以上も早く、午後1時に近江舞子に到着。周航の歌2番の「松はみどりに♪砂白き♪」の砂浜です。大正6年6月28日に今津に投函した小口太郎のハガキでは、「雄松は淋しい所で松林と砂原に一軒宿舎があるだけだ。羊草の生えた池の中にボートをつないで夜遅くまで砂浜にねこんで月をながめ、美人を天の一方に望んだ。今朝は網引きをやって面白かった」。まずは砂浜で大きな輪をつくり、周航の歌を6番まで歌う。
8 、大正6年当時の一軒宿舎である雄松館の礒田さんご夫妻や地元小松学区自治連合会の山本会長などのはからいで地元のご馳走が並んだ。周航の歌の「赤い椿」にちなんだ「花椿寿司」や、びわスポ大と「ほっとすていしょん比良」が共同で開発してきた「アスリート饅頭」、それに朝取れのコアユの天ぷらや飴焚き、手作り味噌をつかった豚汁のご馳走がならぶ。
9 、大正琴や北小松の地唄披露のあとは、「野村太鼓」の勇壮な演奏で、歓迎の気持ち表現していただく。白砂上の松林越しに、大太鼓から中小の太鼓をふくめて、練習しぬかれた見事な演奏が、早朝、大津から漕ぎ繋いできたクル―の疲れをいやしてくれた。心強いのは小学生など子どもたちがたくさん参加していることだ。きっとこの子どもたちの脳裏には、今日のオレンジTシャツのおじさんやおばさんの「我は湖の子」というメッセージが刻み込まれていくにちがいない。刻み込まれてほしい、という願いもこめて、地元近江舞子の皆さんの「熱烈歓迎」に心からの感謝です。