20191205質問主意書(離婚後の親権)

離婚後の親権のあり方に関する質問主意書

離婚後の親権のあり方については、本年十一月十二日、十四日、二十一日、二十六日、二十八日及び十二月三日の参議院法務委員会において、質疑をしてきました。しかし、前記法務委員会での審議においても政府の見解が不明確なまま残された課題があります。そこで、以下質問します。

一 平成三十一年二月十八日の衆議院予算委員会における山下法務大臣(当時)の離婚後の単独親権重視の答弁は、山下大臣独自の考えではなく、戦後、離婚後の単独親権制度を導入した歴史的経緯を踏まえたものと理解できます。

昭和五十三年に発行された我妻栄・有泉亨著「民法三 親族法・相続法第三版」には、「新法は一方で、「家」の制度を廃止し、他方で、父母は共同で親権を行使すべきものとしたが、離婚した父母に親権の円満な共同行使を要求するのは困難なので、離婚に当たって、父母の一方を親権者と定める―いいかえれば他方の親権を失わせる―ことが必要となったのである」との記載(以下「我妻栄の主張」という。)があります。

すなわち、日本政府は、戦後、民主化したとされた民法の中にある家制度の残滓を七十年以上、何もせず放置しておき、未だに明治民法の思想が色濃く残った我妻栄の主張のとおりの答弁を繰り返しているのではないでしょうか。明治から大正、昭和、平成と時代を経て、令和の新しい時代にはいった今だからこそ、日本社会の家族制度のあり方を根本的に変えるべき時ではないでしょうか。政府の見解を求めます。

二 離婚後の共同親権を否定した我妻栄の主張には、こうした明治民法の男性を中心とした家制度の下での家の所属物としての子どもの存在が見え隠れしており、その後の急激な社会的変化の中における女性の役割の増大や、男女共同参画の推進は全く反映されていません。また、かつて家の所属物であった子どもたちは今や、親の、特に離婚後は親権を獲得した親(現在、その多くは母親)の所属物のように扱われ、「子どもの最善の利益」、すなわち、子どもの人権も守られない社会になってしまっているのではないでしょうか。

日本をとりまく国内外の社会情勢の変化を踏まえれば、離婚に至った夫婦の間でたとえ感情的対立が生じた場合であっても、あるいは親同士が高葛藤の状態であるからこそ、法務をつかさどる国家が家庭に介入して「子どもの最善の利益」を最優先に考えるべき時代になっているのではないでしょうか。また、日本も批准している児童の権利条約では、離婚後も子どもは両方の親との関係を維持することがのぞましいと謳われています。政府の見解を求めます。

三 昭和四十年十二月八日の「子の監護に関する審判事件の審判に対する即時抗告事件」の東京高等裁判所の決定では、親権を失った母親が子どもとの面会交流を求めたのに対し、東京高等裁判所は「母親が子に面会交流することは、子の利益にならないものと考えこれを許可しないのが相当」とし、その申立てを却下しています。

本年十一月二十一日の参議院法務委員会で、最高裁判所家庭局長は、「広く子の福祉が問題となる調停事件の当事者に対して、子の利益を考慮しながら、子を中心とした解決に向けて話合いを進めること」とし、紛争解決を促す答弁をしています。最高裁判所家庭局長のいう「子の福祉」、「子の利益」と、前記東京高等裁判所の決定における「子の利益」とは、同じ意味で用いられているのでしょうか。両者の関係をどう整理するのか、政府の理解するところを示してください。

四 前記三の東京高等裁判所の決定には、明治民法の精神がしっかり見て取れます。しかし、そのような封建的な理由を前面に出すことができないので、「子の利益」、「子の幸せ」などという形式的な表現を使っています。この決定が「子の利益」を侵害していることは児童の権利条約を引用するまでもなく明らかです。現在、多くの裁判官は「「継続性の原則」は「子の利益」に従ったもの」と主張しますが、これも形式的な表現です。このような表現を安易に使用する裁判官と、児童虐待を「しつけ」と称し「子の利益」に適っていると主張する親、体罰を「愛の鞭」と称し「子ども達のためにやっている」と主張する学校の先生達とは、どこが違うのでしょうか。このような表現を裁判官が安易に使用することを抑制しない限り、「子の利益」の美名のもとに、真に意味のある「子の利益」が侵害され続けています。

公益社団法人「商事法務研究会」の「家事法制に関する研究会(名称未定)」の「研究会の検討の進め方について」に、「抽象的な「子の利益」よりも具体的な検討の視点・考慮要素を検討することができないか」との記述がありますように、「子の利益」という言葉が抽象的であるために濫用されている現状を早急に改め、本当の意味で、「子どもの利益」を最優先に考えた家族法制度や裁判所の運用に改めていく必要があります。

江戸時代の「大岡裁き」として知られる有名な逸話に、二人の女性が一人の子どもの親権を争う「子争い」という話があります。この話は両方が女性ですが、今の日本の離婚後の父と母による子どもの親権争いのケースに照らせば、「子争い」は「フレンドリー・ペアレント・ルール(寛容性の原則)」を適用した例といえます。

多くの子どもは両方の親に愛され、両方の親との親子関係をつないでいきたいと願っているという家族社会学者による調査結果もあります。それゆえ、どちらかの親が子どもを一人占めにするのではなく、子どもを痛めつけ、苦しめ、大岡裁きの「子争い」にある腕の引っ張り合いのような単独親権制度から、平和的に、離婚後の子どもの暮らしや教育を安定的に維持できるような共同親権制度への移行こそが今求められているのではないでしょうか。そして、これこそが本当に「子の利益」を守るための具体的な方策ではないでしょうか。政府の見解を伺います。

五 諸外国では「親権の円満な共同行使」を実践している実態を踏まえ、戦後の民法改正時に単独親権制度を維持することとした前提にある「離婚した父母に親権の円満な共同行使を要求するのは困難」との認識を改めるべき時代にはいったと考えますが、政府の見解を伺います。

右質問する。

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