第2室戸台風は57年前の1961年(昭和36年)の今日9月16日に関西を襲いました。今年9月4日に関西を襲った台風21号は「第3室戸台風」といっていいほど、第2室戸台風にその経路や被害の様相が近いといわれています。今日は関西を襲った第2室戸台風が大きなきっかけとなり琵琶湖総合開発が推し進められ、昭和30年代当時は想像つかなかったまさに想定外の苦しみを今、琵琶湖の生態系や琵琶湖の魚、そして漁師さんが受けていることをご報告します。また関西新空港の浸水など、これも当時は想定されなかった新たな社会的リスクがあることも共有させていただきます。9月16日。また長いです(3000文字をこえています:微笑)
最初の写真は昭和36年9月16日午後。ビルの二階のひさしに20名を超える人だかりがあり、そこに寄せられた小舟から梯子ですくいだされる人びとの姿。この同じ場所の現代の姿が2枚目の写真です。大阪の中之島界隈を知る人にはすぐ分かると思いますが、これは「大ビル」です。淀川が大阪市内にはいって大川となり、中之島をはさんで北側が堂島川、南側が土佐堀川ですが、大ビルは堂島川に面して、田蓑橋の麓にあります。
「大ビル」は大阪では大正12年に出来た最初の高層ビルとして有名で、昭和36年当時8階建で西日本一の高さを誇るビルでした。大阪商船(現在の商船三井)の本社社屋として中之島のシンボル的な建物でした。入口の彫像は「鷲と少女の像」と呼ばれ、建物全体がネオロマネスク様式で、印象的な建物でした。その大ビルが水につかり2階から舟で逃げ出す人たち。背面の土佐堀川側には、関西電力の本社があります。(古写真提供は大阪府河川課です)。
その同じ場所を2017年に写したのが二枚目の写真です。実は旧ダイビル本館は老朽化によって建て替えられ22階建の超高層ビルとして2013年に再開していますが、入口の彫像など低層部は、旧ダイビル本館を復元しており、一瞬昔の建物そのものと見まちがうほどです。三枚目の写真は同じく第二室戸台風でビルから舟で救いだされる人びとの姿で、大ビルの裏側、関西電力本社ビルの横です。その同じ現在の場所が4枚目の写真です。
昭和36年9月16日(土曜日)の朝日新聞(夕刊か?)には次のような“人災”という記述があります。本文は「16日午後1時15分ごろ、真っ暗な空からゴォーッと海鳴りに似た響きとともに風が吹きおりてきた。・・・“水の都”大阪を流れる川の水面はゴムマリのようにふくれあがる。・・・こうした被害は予想されないことではなかった。冷房用の地下水のくみ上げによる地盤沈下。防潮堤のカサ上げはおこなわれても地盤沈下はやまない。ひとたび台風がくれば、“ゼロ地帯”の浸水は目に見えていた。この被害は明らかに“人災”だ」と結んでいます。
当時、どれほどの浸水深があったのか、示したのが6枚目の地図です。中之島は浸水深150センチ、堂島川北側の大阪駅から淀川までが100センチ、土佐堀川から南も100センチと水がついています。第二室戸台風は昭和にはいって最大の水害被害をもたらし、死傷者2424名、家屋の流失被害24742戸、浸水被害は12万戸をこえるほどの大きな被害を出しました。特に大阪経済の中心地である中之島が水につかったことは大騒ぎとなりました。そしてその原因が地下水の過剰くみ上げによる地盤沈下であることが大きな問題となりました。
そしてすでに大阪や神戸など都市化がすすむ地域の水資源開発のために琵琶湖からの「水出し」が注目されていた時期、第2室戸台風をきっかけに急速に琵琶湖を利水ダムとして活用する議論がすすみます。また当時、全国的に水害をダムで防ぐという「多目的ダム」推進の流れがあり、琵琶湖はその巨大な容量(琵琶湖水位1メートルで日本最大の徳山ダムに匹敵する水量あり)が注目され、関西の利水も治水も琵琶湖に担わせるという「琵琶湖総合開発」の議論が本格化します。
昭和30年代から40年代に滋賀県としては、下流への貢献だけではなく上流にも利点がほしいということで「上下流均てん論」を主張し、滋賀県域での地域開発や環境保全をいれこんだ「琵琶湖総合開発」が昭和47年(1972年)からはじまります。その当時、最も大きな懸念を示したのは漁業者でしたが、「4割減産への補償」を苦渋の選択として受入れ、琵琶湖総合開発が動きだし、25年かけて、平成9年(1997年)に完成します。
琵琶湖総合開発が完成した結果、昭和47年に毎秒140トンだった下流の利水量は平成4年には210トンと増加しました。利水地域は大阪府は最南端のみさき町から兵庫県は神戸市垂水区や北区の有馬温泉まで1450万人にまで広がりました。有馬温泉で蛇口をひねったら琵琶湖水が供給されていることをどれほどの人が想像するでしょうか?
琵琶湖生態系にとって最も大きな影響は、総合開発完成を前提に平成4年に決められた「琵琶湖水位操作規則」です。図で示しますと、それまで琵琶湖水位は0センチ前後で推移していたのですが、平成4年以降は、梅雨から真夏の6月15日から8月31日まではマイナス20センチ、台風シーズンを迎える9月1日から10月15日まではマイナス30センチと水位を下げることです。治水ダムの操作原理は大雨の前にできるだけ水位を下げる事です。
この水位操作で最も大きな影響を受けたのが琵琶湖の魚たちです。琵琶湖のコイ科魚類(フナズシ材料のニゴロブナやホンモロコ等)など暖水性の魚類は梅雨時期、水位が上がる時産卵をします。その時に水位を下げられたら産卵場所を失ってしまいます。同じように、アユやビワマスなど冷水性の魚類は9月から10月に河川遡上をして産卵します。その時に水位を下げられたら産卵できません。
魚たちの産卵問題については、「人工河川づくり」などで対応してきましたが、残念ながら、想定以上の影響があり、琵琶湖漁獲高は昭和30年代と比べ4割減産以上の影響を受けています。ここには外来魚や温暖化の影響など、総合開発そのものの影響だけを抽出することは難しいですが、大阪中心部の浸水を抑える効果を示した琵琶湖利水や治水機能の拡大が、琵琶湖に大きな影響を及ぼしていることを多くの皆さんに知っていただきたいと思います。
そして今回、台風21号で「想定外」の浸水をしたという関西空港。昭和36年の中之島の浸水は琵琶湖総合開発による利水増強で確かに解決しました。しかし新たな浸水被害は想定できなかったのでしょうか。関西空港をデザインした専門家の人たちの「想定議論」については詳しく知りませんが、今回の浸水被害をみると結果として技術者や計画立案者の責任は問われないのでしょうか。「水は怖い!」。そして自然界の猛威は人間の想定を超える。
人間の欲望が増大し、海中に人工島をつくり空港建設をする、と言う時に台風や津波被害等「高潮対策」や「耐水建築」という建物対策などが甘かったと言わざるをえません。今回の浸水を受けて、技術的に対応可能な対策はいくつもあると思いますが、たとえば地下にある電気系統を、2-3階など高いところにあげる「耐水化建築」は一つの例ですが、だれもそのような議論をしていません。1日も早く空港再開ができたらと短期的視点でうごいているようです。東南海・南海地震にどう対応するつもりなのでしょうか?関西空港運営会社に問いただしたい大きな課題です。
そして大阪府市の責任者、大阪府知事や大阪市長に問いたいです。大阪万博やIRを誘致しカジノをつくるという。目先の経済的利益だけを強調しているようですが、万一のリスクへの配慮はないのでしょうか。リスクにこたえるレジリエンスを組み込んだ対策は結果として経済的損失を少なくします。
海外から来られる人たちも含めて、命を守る予防措置は取られているのでしょうか。投資を求める海外企業は、「想定される自然災害」には、万一被害を受けたら、行政への補償を求めてくるかもしれません。このあたりのリスク回避の方策も、大阪府市の責任者には考えてほしいと思います。
長い文章のおつきあいいただき、感謝です。感想をよろしくお願いします。